ゼッケンやデカールは西仙台で優勝した当時を再現
2025年1月25日、ボナムズがアメリカで開催した「The Scottsdale Auction」において日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」が出品されました。このシャシーナンバー「HR31-128388」は、レース活動を終えておよそ30年間、プライベート・コレクションのもとで静かな余生を送っていました。そして、2024年になって大規模なレストア作業が断行され、今回のオークションに登場しました。同車について解説をします。
エンジンはRB20型を登場
「歌は世につれ世は歌につれ」ではないが、1980年代中盤の世の中……というか自動車の世界は、まさに「ハイソカーブーム」真っ只中。必然的にクルマは豪華絢爛を極めた時代である。しかし、その豪華絢爛はレースの世界にとっては全く無意味。1985年に誕生したR31型と呼ばれた7代目の日産「スカイライン」は、発売当初まさに旦那仕様ともいえる4ドアセダンと、4ドアハードトップの2種類しか設定がなかった。
そもそも7世代目の基本コンセプトは、「高性能を優しく包み込む高級スポーティサルーン」=「ソフトマシーン」である。したがって先代のモデルで登場した、かなり戦闘的に思えたFJ20というDOHC直4エンジンは姿を消し、4気筒は全く普通のCA18Sというエンジンが、下級グレードに使用されたのみ。
一方で6気筒の方は従来のL20型に代わり、新しいRB20型が登場した。このエンジン、DOHCであることは当然として、世界で初めてダイレクト・イグニッション・システム(NDIS)を装備したエンジンだった。エンジンヘッドカバーに見られたハイテンションコードや、ディストリビューターが消滅したエンジンルームの景色は、その当時の「当たり前」を知る者からしたら、かなり衝撃的であった。
1987年に800台限定のGTS-Rが登場
とはいえ、先代のFJ20エンジンでレースに復活したスカイラインとしては、当然ながらその系譜を守らないと熱心なユーザーからはそっぽを向かれる。そんなわけでまずは1986年に2ドアモデルを復活させ、1987年のマイナーチェンジを機に、800台限定の「GTS-R」を投入した。そして発表時のプレスリリースには、このクルマを本格チューンし、同年11月開催のインターテックに出場する旨が書かれていたのである。
7代目のモデルはエンジンのみならず、足まわりも最新の日産の4WSシステムであるHICASが採用されていた。レース仕様ではリアの位置決めが難しくなることから、取り去るのが一般的と思われたが、レース仕様でもHICASを採用していた点も珍しい。それにしてもこだわるわけではないが、いっそのことGT-Rを名乗ればよかった(6気筒であること、DOHCであるという条件は整っていたので)のに、GTS-Rであったところに、GT-Rのネーミングがいかにこだわりのあるネーミングであるかが窺い知れる。
1987年のインターテックで初登場となったHR31スカイラインだったが、予選では5番手と善戦したものの、決勝は15番手に沈み、少なくともインターテックにおける戦績は芳しいものがなかった。
1987年にニスモによってインパルの星野一義のために仕上げられたマシン
GTS-Rは、グループAレギュレーションに合致するために作られた、いわばホモロゲーションモデル。本来500台以上の生産が義務付けられる生産規定をクリアするため、800台が作られたことになっているが、「gtr-registory.com」によれば4台のプロトタイプを含んで合計823台が作られたとされている。
また、ノーマルGTS-Rのエンジンは排気量1998ccとされているが、レース用のHR31は、ヨーロッパのETCを走ったマシンを含め、排気量は2023ccとなっている。残念ながらボア×ストロークに関する記載はない。
シャシーナンバー「HR31-128388」は、1987年にニスモによってインパルの星野一義(現役時代は日本一速い男と呼ばれた)のために仕上げられたマシンで、のちに有名になるカルソニック・カラーをまとった最初のマシンであった。戦績としては1988年に北野元/和田孝夫のコンビで参戦し、2回のトップ5フィニッシュを達成している。残念ながら3回はDNFであった。
翌1989年は、和田に代わり、星野と北野がドライブ。6戦中5戦で最前列スタート(うち4回はポールポジション)し、西仙台ハイランドの第2戦、ハイランド・グループA 300kmレースで念願の初優勝を遂げている。残念ながら、優勝はこの一度だけであった。
レース活動を終えておよそ30年間、この「HR31-128388」はプライベート・コレクションのもとで静かな余生を送っていた。そして、2024年になって大規模なレストア作業が断行された。プロジェクトの詳細はまず往時のボディカラー、すなわちカルソニック・カラーを再現すること。もちろんゼッケンやデカールは西仙台で優勝した当時が再現されている。
車両は走行可能な状態
エンジンは2023年にニスモによってリビルドされ、マグネシウム製インテーク・マニホールドの補修、ラジエーターとインタークーラーの交換などが断行された。さらに、ギアボックスのチェック、クラッチとブレーキのハイドロ―リック・システムの一新、新しいブレーキディスクの装備とエアジャッキのチェックなど、細部に至るまであらゆる部分が見直されている。というわけで車両は走行可能な状態である。もっともこれでレースをする場合は、さらなるメンテナンスがレコメンドされている。
2024年7月16日、富士スピードウェイにおいて、特別なイベントが開催され、「HR31-128388」は当時のドライバー、星野一義と対面した。また、デモドライバーによるデモンストレーションランが敢行されたが、この日、星野がこのクルマをドライブすることはなかった。
ボナムズでは、この車両に20万ドル〜27万5000ドル(邦貨換算約3120万円〜約4290万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。実際には、20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)でハンマーが叩かれた。
