弟から譲り受けた真紅の初代MR2
日本初のミドシップスポーツカーとして登場したトヨタ初代AW11型「MR2」は、いまも多くのファンを魅了しています。今回紹介するのは、そんな名車の魅力をそのままに残しながら、ジムカーナマシンの面影を感じさせる1台です。真紅のMR2を弟さんから受け継いだオーナー・渡部拳也さんが語るその魅力とは?
日本初のミドシップスポーツカーらしい走りの楽しさを満喫
日本初のミドシップカーとして有名なトヨタAW11型初代「MR2」。当時のトヨタはMRを「ミドシップ・ランナバウト」と謳い、ピュアスポーツとして走ることを楽しむためのクルマとして位置づけた。
MR2がデビューしたのは1984年6月。世の中がオイルショックの痛手や排ガス規制から解放され、イケイケドンドンの時代であった。そんな時代背景もあり、スポーツカーに対して慎重だったトヨタがモーターショーで「SV-3」の名で後のMR2を発表。プロトタイプとしての参考出品だったが、市販化されたモデルはほぼ形を変えることなく、そのままのフォルムでデビューするという大胆さが話題になった。
今回紹介するコンディションの良さが際立つ真っ赤なAW11型MR2に乗る渡部拳也さんは、弟さんが結婚するため2シーターのクルマは何かと不便が多いということで、譲り受けて乗っているという。このMR2に乗る前は、ダイハツ「ミラ」やホンダ「フィット」といったクルマを足として使っていたため、その走りの違いには驚かされたという。
その印象は、「普通のクルマとはまったく感覚が違って、自分を中心にコマのように曲がってくれる」と話す。
鉄チン風スーパーラップホイールを装着
渡部さんの愛車は1984年式の初期型だ。したがって搭載するエンジンは、AE86型カローラ レビン/スプリンター トレノに積まれていた次世代テンロクDOHCとして評価が高かった4A-GEUである。MR2には当時スーパーチャージャーモデルも存在したが、これは1986年のマイナーチェンジで追加設定されたモデルなので初期型にはない。ちなみにこのときに搭載されたエンジンは、AE92型用に開発された4A-GZEUスーパーチャージャーユニットだった。
絵に描いたようなウェッジシェイプのボディをテール部分でスパッと切ったスタイルが“らしさ”となって独特のフォルムを生み出すこのデザインは、渡部さんもとくに気に入っているポイント。エアロパーツなどは装着せず、外装はフルノーマルをキープ。ホイールだけ当時のジムカーナ仕様車で流行った鉄チン風の超軽量アルミホイールとして話題となったスーパーラップに交換している。
ジムカーナローカルシリーズを漂わせる
余談になるが、ミドシップスポーツとして話題になったMR2がなぜモータースポーツシーンで活躍できなかったのか? 唯一“無敵”と言われたのがジムカーナのみで、それを除いて目立った実績を残せなかった理由は、当時のモータースポーツにおけるレギュレーションが関係していた。なんといっても、日本初のミドシップモデルであったことが考えられる。
また、そのレギュレーションに合致するレースがあっても、MR2はミドシップゆえの急激な姿勢変化が好まれず、ドリフトコントロールの難しさなども理由に挙げられていた。では、なぜジムカーナでは無敵だったのかといえば、それはパイロンコースを小回りする性能の良さが抜群だったからだ。リヤミッドシップレイアウトによりトラクションがかかりやすく低速からの立ち上がりの鋭さも武器となり、ジムカーナにおける活躍ぶりは目覚ましいものがあった。そのため当時の全日本をはじめ、ビギナークラスも含めて重宝されたわけだ。
渡部さんのAW11型MR2は、まさにあの時代に活躍したジムカーナマシンの面影を感じさせてくれる。知らない人にとっては純正スタイル。しかし、当時のことを知っている人なら、「あっ、懐かしのジムカーナローカルシリーズ仕様だ」と思える。そんな懐かしの1台だった。
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