初代Eクラスは当初はミディアムクラスと呼ばれていたW124
自動車の歴史とともにメルセデス・ベンツが得意とする大型高級車とは一線を画す、実用的な小型車を発表したのは1931年に登場したW136型170でした。このモデルは、第2次大戦戦後も生産され、後のコンパクトシリーズ、そしてEクラスへとその血脈は受け継がれていきます。そして、今後もメルセデス・ベンツの中核モデルとして新世代を担う存在であるといえるEクラスの歴史を紹介します。
170/W136(1946-1955年)
Eクラスの祖先は1946年登場の小型実用車
第二次世界大戦後のドイツ復興に際して、まず必要だったのは交通手段であった。ダイムラー・ベンツ社は、戦前設計のウィングタイプのフェンダーが特徴の170セダンの生産を再開した。1.7L 4気筒エンジンを搭載し、小型ながら俊敏な走りと無類の丈夫さはメルセデス・ベンツの復興に貢献した。戦後、日本へ最初に正規輸入されたのも、この1952年型170セダンであった。
180/W120(1953-1962年)
フェンダーが一体化して「ポントン」と呼ばれた170の進化系
1953年に登場したW120型180は、エンジンを先代170から踏襲するものの、ボディとフェンダーが一体となった現代風のフラッシュサイドスタイルの3ボックスデザインを採用。セミモノコックボディは、世界初の衝撃吸収式安全構造を採用し、安全性と居住性を高めた。また、この180シリーズはフェンダーとボディが船のように一体化したスタイルだったため「ポントン(Ponton=箱船の意味)」と呼ばれた。
W110(1961-1968年)
優雅なフィンテールは「安全を標準装備」した衝撃吸収ボディ
1961年にフィンテールが特徴のボディ形状から日本では通称「ハネベン」と呼ばれていた190/W110と220/W111が登場。ポストンと呼ばれた先代180よりボディは少し大柄になり、低いウエストラインのパノラマミック・ウンドウを特徴とした解放感溢れるボディスタイルは、従来のメルセデス・ベンツの感覚から大きく脱皮していた。ボディは世界初のフルモノコックで衝撃吸収式安全ボディ構造の採用や室内に本格式安全パッドを施すなど、「安全を標準装備」した歴史的にも重要なモデルとなった。
W114/115(1968~1976年)
4気筒と6気筒を搭載した初代コンパクトシリーズ
1968年に「ニュージェネレーション」のタイトルで登場したのが、縦目のヘッドライトが特徴の初代コンパクトシリーズのW114/115だ。ちなみに1968年に発表されたので「/8(ストローク エイト)」と呼ばれ親しまれた。6気筒エンジン搭載モデル(W114)と4気筒エンジン搭載モデル(W115)をラインアップ。
このW114/115はオーナードライバー専用のボディと謳っていたので、Eクラスと思われがちだが、じつは「コンパクトシリーズ」と呼ばれ、SやSLに続く3番目のクラスだった。最終的な販売台数は先代のW110の3倍に相当する191万9056台だった。
グレードは4気筒の200から6気筒の280まで用意され、さらにクーペの250CE/280CEも加わった。このEの接尾辞はドイツ語の「EINSPRIZUNG」の頭文字で「燃料噴射」を意味する。初のDOHC燃料噴射式エンジンを搭載したが、今で言うクラス分けの「E」ではない。
W114はリアにセミトレ-リングアーム式サスペンションを採用したこともトピックだった。機構上、もっとも大きな変更はパワーアシスト付きのステアリングを採用。駐車場などでの操作が楽にできるようになり、コンパクトで視界も広いこともあり女性にも扱いやすいメルセデス・ベンツが誕生したといえる。
しかも、もっとも評価すべきは、このモデルから明らかにこれまでとは違う実力の高いセーフティパッドを車内随所に配し、吟味されたダッシュボードの材質を採用するなど、優れた衝撃吸収能力を発揮したことだ。
W123(1975-1985年)
クーペとワゴンも設定した2代目コンパクトシリーズ
1976年1月、スリムで軽快なスタイルのコンパクトシリーズ2代目W123が登場した。W116型Sクラスのコンポーネンツを受け継いで設計されたこのモデルは、がらりと変わったスタイリングが比較的若い層を狙った装いであった。
ヘッドライトは4気筒モデルが丸型4灯式、6気筒モデルは横広角目の異型2灯式。当時は、4気筒モデルに6気筒モデルの異型角2灯式に替えるのが流行った。ところがメルセデス・ベンツがヨーロッパ・ラリー選手権にワークスチームを送り込んだマシンが4灯式ヘッドライト+ドライビングライトを装着していたのが恰好良かったので、カスタマイズしたユーザーが慌てて元に戻したというエピソードが世界中で聞かれた。
後にお洒落なクーペや多機能ステーションワゴン(1977年発表のTモデル)の参画もあり、「メルセデス・ベンツコンパクト」の存在は中型カテゴリーのなかでも最高峰と呼ぶに相応しいラインアップとなった。総生産台数は先代W114/W115シリーズをさらに上まわる約270万台だった。
エンジンは基本的には前シリーズのW114やW115からの踏襲だが、W115の280E/CEが搭載した2.8L 6気筒DOHCエンジンにはボッシュ製Kジェトロニック燃料噴射が採用され、本格的にハイパフォーマンス化を果し177psを発揮する。
じつにハイクオリティなエンジンであったが、時は日本の昭和51年排ガス規制の頃。その対策技術は黎明期であり、筆者が日本版カタログの撮影で箱根を走行した日本仕様は177psが145psに絞られていて悔しい思いをしたと記憶している。
また5気筒NAやターボのディーゼルを初搭載したのも、このW123からであった。さらにレース用としてはW109型300SEL 6.8を作り上げていたAMGが、市販モデルとして最初に展開したのもこのW123であった。
W124(1984-1996年)
マイチェンでEクラスと名乗った人気モデル
1984年に発表されたW124型Eクラス。日本では「自動車100年祭」の会場でデビューした。このW124はメルセデス・ベンツの呼称刷新により、当初は「ミディアムクラス」と呼ばれていたが、1993年のフェイスリフト時から「Eクラス」となった。これは1982年に、より小さな190(W201型)が登場したからである。
これまでの「E」は単にEINSPRIZUNG(燃料噴射)の頭文字だったが、W124で正式に「Eクラス」と呼ばれた。初期のW124は300E、後期にはE320、すなわち、「アトE」「サキE」と呼ばれた。
W124はメルセデス ベンツの名デザイナーであるブルーノ・サッコが190(W201型)に続いてデザインを手がけた作品で、すっきりとしたスタイリングにはフロントグリルの他はクロームメッキがほとんど見当たらない。当初、1本のサイドプロテクターは、1990年からサッコ・デザインのアイデンティティともいうべき「サッコ・プレート(ボディ側面を保護するパネル)」を採用。このW124のスタイリングは、サイズやクラスを超えて世界中の自動車デザインに大きな影響を与えた。
有限要素法(Finite Element Method)の高度コンピュター設計システムを駆使して生み出した空力的なフォルムは、Cd値0.29を実現。先代のW123(1975~1985年)まではコンパクトと呼ばれていたが、W124は全長4740mm✕全幅1740mmのボディを得て、「ミディアムクラス」と呼ばれるようになった。そのボディバリエーションはセダン、ワゴン、クーペ、カブリオレと豊富だった。
マルチリンクサスの採用で世界の乗用車のベンチマークに
W124はマルチリンク式リアサスペンションを走行実験車C111から移植するなど技術面でも注目すべきモデルだ。戦前のスウィングアクスルから始まった独立懸架サスペンション開発への挑戦は、このマルチリンクの登場により正にルネッサンスを迎え、世界の乗用車のベンチマークとなった。エンジンは3L直6 OHCから最終的には1990年に登場した500Eの5L V8まで、凄いラインナップを揃え、ハイパフィォーマンスカーへの足掛かりを作ったモデルだ。
W124は自動車業界がアナログからデジタルへと変化する過度期における大切な一歩を見せつける作品である。その総生産台数は約273万7000台になった。
W124をひと言で表現するなら「大人が作った大人のクルマ」でもあるといえる。つまり、「最善か無か」のスローガンを具現化したモデルで、クルマを通じて作り手の自信が明白で、正に匠の作品に触れる重厚さが感じられる。この優れた基礎があってこそ、W124は今日でもある種カリスマ的な人気を維持している500EやAMGまでも展開することが可能だった。
以後のEクラスは周知のとおりなので型式/年代だけを下記の通り明記しておこう。
2代目W210(1995-2002年)
3代目W211(2002-2009年)
4代目W212(2010-2016年)
5代目W213(2016-2023年)
6代目W214(2024年~)
W214は、2023年オンライン上でワールドプレミア。日本では2024年1月、東京オートサロンでセダンとステーションワゴンが同時発表された。キャッチコピーは「Eを覆す、E」で、各広告媒体で展開。とくにW214はEuro NCAP(Euro New Car Assesment Program=欧州新車アセスメントプログラム)から2024年度「ベストパフォーマー」を受賞した(2025年1月22日)。つまり、すべての安全カテゴリーで傑出したスコアを達成したわけである。
