3.6Lツインターボで最高速289km/hのロータス「オメガ」同乗体験
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る経験談を今に伝える連載。今回は1990年代初頭、「最速4ドアセダン」と恐れられたロータス「オメガ」を振り返ります。同車は、英議会で発売禁止が議論されたほどの異端児でした。モータージャーナリスト中村孝仁氏が、その怪物とともにニュルブルクリンク北コースで味わった圧巻の走りとは?
ニュルブルクリンクの初走行はフォーミュラ オペル
1977年に初めてドイツ・ニュルブルクリンクに行った。その時はニュルブルクリンク誕生50周年のイベント見学で、走ることはなかった。しかし、それからずいぶん経ってから2度目に行った時には、ここを実際に走ることができた。
と言っても、北コースの方は同乗走行。そして新しいコースの方は、オペルエンジン搭載のフォーミュラカー、フォーミュラ オペルで走った。サイズ的にはおそらくF3程度だと思うが定かではない。自分が運転しているわけだから、残念ながらその時の写真はない。
ただ、当時は非常に寒くて路面温度が低く、最初の1周は先導車についてタイヤを温め、コースを覚えることで、2周目から自由走行となった。自分的には十分にタイヤは温まっていると思い、先導車がいなくなると勢いよく1コーナーに突っ込んでいったのだけれど、見事に止まらずサンドトラップの餌食に。まさか1周目の1コーナーでリタイアかと覚悟したが、幸いなことに脱出に成功し、その後は少し慎重に走ったことを覚えている。
落ち葉で埋まる北コースはほぼレコードラインしか路面が出ていない
話を戻すが、北コース(全長22kmのオールドコース)で同乗走行をしたのはロータス「オメガ」。ドライバーはオペルのテストドライバーだったと記憶しているけれど、晩秋(だったと思う)のニュルブルクリンク北コースには落ち葉がいっぱい積もっていて、いわゆるレコードラインは1本だった。それを外すと結構滑りやすいとドライバーが説明してくれた。
当時ニュルブルクリンクは、たしか1周5マルク(まだユーロ導入前)で誰でも走れる時代。だから腕に覚えのあるドライバーも、あるいはツーリング気分で走るドライバーもいて、超高速のロータス オメガはそれらのクルマを縫って走るから、しばしばレコードラインを外れ、結構怖い思いをしたことを覚えている。
それにしても1周が22kmほどあるノルドシュライフェ(北コース)。コーナーがどれだけあるかというと、とてもじゃないがひとつひとつを覚えられない。こんなところでレースをする人たちは、もちろんすべて覚えているのだろうけれど、当時は本当に怖いコースだと思ったものだ。
その当時、個人的には筑波サーキットでレースをしていた時代だから、その大変さがよくわかった。この時の旅はオペルの試乗会だったと記憶するが、何に試乗したかは覚えていない。ロータス オメガがすでにあるということは、1992年以降だと思うのだが、このニュルブルクリンクでの試乗体験や、その日の夕飯をサーキット近くのレストランで食べたのだけれど、とにかく出てくるのが遅くてほとんど午前様近くまでかかったことなどが思い出されて、肝心のクルマについてはさっぱり覚えていない。
速すぎて販売の是非を国会で議論されたロータス オメガ
そのロータス オメガについて話をしよう。デビューした1992年当時、最速の4ドアセダンと言われたこのクルマのベースとなったのは、オペル「オメガ」である。当時ヨーロッパGMの社長であったロバート・イートンと、同じく当時ロータスの社長であったマイク・キンバリーの発案で始まったこのプロジェクトは、コードネーム、タイプ104と呼ばれた。ターゲットとされた性能は0-100km/hを6秒以下でこなすハイスピードセダンであった。生産はロータスの工場があるヘーゼルで行われることになった。当時ロータスはGM傘下のメーカーであったため、このプロジェクトはすぐさま実現し、1989年のジュネーブショーにはそのプロトタイプがお披露目された。
ロータスが断行したチューニングは、オリジナルのオペル・オメガ用の3L 直6DOHC24バルブエンジンを、3.6Lまで拡大し、さらにギャレットリサーチ製のT25ターボチャージャーを2基装備。最高出力は377psで、トップスピードは289km/hと、まさに化け物級のモデルができ上がったのである。
当時オペルはイギリスのヴォクスホールと同じモデルを販売しており、イギリスではロータス・カールトンの名で呼ばれていた。そしてイギリスではこの速さが問題視され、同国の国会ではこのようなクルマを公道で走らせることの是非について質問が出されたほどだったという。さらに『デイリー・メール』紙などは、発売禁止を求めるキャンペーンを行ったというから、いかにそのスピードが問題視されたかがわかるクルマであった。
結局1000台が生産される予定だったロータス・オメガ/カールトンは、予定に満たない950台で生産を中止し、その希少性から今では当時の新車価格と変わらないレベルの価格で取引されている。
貴重なオメガはオペル車とは一線を画すロータスチューンの足まわりを採用
では、実際に乗って速かったか。あくまでも助手席での体験ではあるけれど、ニュルブルクリンク北コースの最長ストレート、ドッティンガーホーエでは、ちゃんとメーターを見ていたわけではないけれど、楽々250km/hには達していたように思う。単に速いというだけでなく、その運動性能もピカイチだった。ロータスは足まわりのチューニングも断行していたため、明らかに当時の市販オペルとは別物感を漂わせたクルマだった。いずれにせよ、ニュルブルクリンク北コースでの走行と、今となってはとても貴重なこのロータス オメガの同乗走行体験は、大きな財産となった。
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