36年8世代の歴史を持つギャランのなかから6代目だけを集める
三菱自動車工業が製造・販売していた「ギャラン」は、36年間という歴史をもつモデルです。1969年に初代となる「コルトギャラン」が登場し、2005年に8代目モデルで生産を終了。その後も2007年には7代目ランサーに「ギャランフォルティス」という名称が与えられ、ギャランの名が一時的に復活したこともありました。そんな長い歴史を持つギャランのなかで、筆者がとくに印象深いのが6代目ギャラン(E30系)です。今回はその6代目を愛する小林孝宏さんが手に入れたという、ギャランたちの“安住の地”を訪ねました。
父親から速くてすごいクルマと刷り込まれた小学生が今や……
6代目ギャラン(E30系)は、三菱車として初めて「日本カー・オブ・ザ・イヤー(1987年)」を受賞したモデルです。さらに、トップグレードの「VR-4」は1988年に「グッドデザイン賞」を受賞。WRC(世界ラリー選手権)においても活躍を見せるなど、モータースポーツの世界でも輝かしい実績を残しました。
小林さんがギャランと出会ったのは小学生の頃。父親が購入した1.8LのDOHCエンジンを搭載した「ギャラン1.8 MUエクストラ」がきっかけでした。ちょうど同じタイミングでWRC1000湖ラリーでギャランVR-4(ミカエル・エリクソン/クラエス・ビルスタム組)が優勝。
「ギャランはすごい、速い」という印象が強く刷り込まれたといいます。テレビで放送されたラリー映像を楽しみに待つ日々を過ごし、自宅のクルマと同型の車両が世界で活躍することに、小学生ながらに興奮していたそうです。
競技車からコレクションへ!希少モデル収集が加速
その後、小林さんは免許を取得し、初めての愛車として父親のギャランを引き継ぎました。社会人になってからもギャランへの愛着は続き、ついに自身の「ギャランVR-4」を購入。この頃に出会ったラリー関係者の影響もあり、自動車競技の世界へ。ダートラにも参戦するようになりました。
しかし、最初のギャランVR-4は丸和オートランド那須で横転し廃車。その後は競技車をランエボに替えましたが、日常の足として再びギャランVR-4を購入しました。しかしこの個体も、弟に貸した際に事故で廃車となってしまったのです。
そんな状況下で見つけたのが、希少な「クタニレッド」のVR-4。ギャランにこの色が設定されていましたが、VR-4では極めて珍しい個体です。勢いで購入し、その後は「ギャランAMG」や「ギャランVR-4 RS」、「ギャランVR-4 モンテカルロ」なども入手。競技ベースモデルや希少モデルを次々と増車していきました。
車両はあちこちの駐車場に点在させて保管していましたが、1度だけ保管場所を失い、泣く泣く手放した車両もあるといいます。それが大きな後悔となり
「もう2度と手放さない」
と誓い、今回の倉庫購入に至ったというわけです。
所有するギャランは専用倉庫の6台と収納できていない2台の計8台
某所に設けた倉庫には、6台のギャランを中心に、2台のスバル「ヴィヴィオ」と1台のランサーエボリューションが収まっています。ギャラン以外はスノーアタックやダートラ用の“遊びグルマ”とのこと。
ところが保有台数はそれだけにとどまらず、まだ倉庫に入れていないギャランが2台存在し、合計8台のギャランを所有しています。とはいえ「まだ欲しくなっちゃうんですよねぇ」と、オークションサイトをチェックする日々が続きます。
全車に均等に乗っているわけではなく、車検が切れたら一度保管し、乗りたくなったら再度車検を通すというローテーション制です。理由は「その方が距離も増えないので」とのこと。
出先でトラブルになることはないといいますが、常にほかの車両と併用し、「乗りたくなったらギャランに乗る」というのが小林さん流の愛車ライフです。
希望するモデルが揃っていないので「まだ増えるかも?」
「ようやくギャランを1カ所に集められた。これからは1台ずつしっかりと仕上げていきたい」
と語る小林さん。
「週末にギャランに乗ることを楽しみに、日々頑張れています」
この先どうしていくのか? という問いには、
「前期型は所有してないんですよね~。それとスモールバンパー(低グレード)もなかなか見つからない」
つまり、まだコレクションは終わっていないようです。
この倉庫には、いずれリフトを導入したいとのこと。ただし次のようなきっぱりとした発言も。
「自分のクルマをいじるだけで、商売にするつもりはない」
1/1スケールのミニカーのように、愛で、乗り、保管するギャランたち。小林さんのギャランライフは、まだまだ続いていきそうです。
