生産台数321台という希少性だけでは語れない落札金額
2025年8月13日〜16日にアメリカ・モントレーで開催された「RMサザビーズ Monterey 2025」に、希少な1983年式ランボルギーニ「カウンタック5000S」が出品されました。わずか321台しか生産されなかったモデルで、排気量を拡大した4.7L V12エンジンを搭載しています。丁寧なオーバーホールやポロ・ストリコの証明書を持つ優良個体として注目を集めました。
最大限の先進性を主張したカウンタック
ランボルギーニが、ミウラに代わるV12ミッドシップ車となる、カウンタックのプロトタイプ「LP500」を発表したのは1971年春に開催されたジュネーブ・ショーだった。
ボディは、ミウラと同様に当時ベルトーネに在職していたマルチェロ・ガンディーニの手によるものだったが、ミウラからは一転、強いウエッジシェイプを特徴とするシルエットへと生まれ変わったそれは、まさに衝撃的な姿であった。
ランボルギーニは、LP500をベースにプロダクションモデルの「LP400」を2年近くの開発期間を費やして1973年に完成させた。ボディには熱対策のためにさまざまなエアインテークやアウトレットが新たに設けられたが、それでもなお、ガンディーニがカウンタックをデザインする際に掲げた「最大限の先進性を主張する」という哲学は、十分に感じ取ることができる。
ミッドに搭載されたV型12気筒エンジンは、LP500が4971ccだったのに対して、LP400では3929ccに縮小された。このエンジンに5速MTを直列に接続し、通常のフロントエンジン車とは前後逆方向に後方から搭載するという手法は、パオロ・スタンツァーニが考案したパワートレーンのレイアウトである。このレイアウトが最終的にムルシエラゴにまで継承されたことは、ランボルギーニのファンには広く知られているところだ。
カウンタックは、LP400を起点として1990年に生産が終了するまでの間にさまざまなバリエーションを生み出すことになる。
1978年にはオーバーフェンダーを装着するとともに、新たにピレリ製のP7タイヤを採用し、サイズもLP400の14インチ径から15インチ径とすることでコーナリング性能を高めた「LP400S」を発表した。搭載エンジンはLP400と同じ3929cc仕様だったが、最高出力はLP400の375psに対して、LP400Sでは353psが公称値であった。ちなみにLP400Sには、ローボディとハイボディがある。
排気量拡大でレスポンスが向上した5000S
今回RMサザビーズのモントレー・オークションに出品された「5000S」(LP500S)は、LP400Sの後継車として1982年に発表されたモデルだ。その最大の特徴は車名が物語っているように、ミッドのV型12気筒エンジンが4754ccにまで排気量拡大されたことである。
これにより最高出力はLP400の375psにまで回復したが、それと同時にその発生回転数が1000rpmも引き下げられ、レスポンスが大きく高められていることも見逃せない。ドアはさらに大型化され、キャビンへのアクセスは容易になり、メーターパネルのデザインや、エクステリアでの新デザインのフレア付きホイールアーチ採用なども特徴であった。
ランボルギーニはこの5000Sに、キャブレター仕様とインジェクション仕様の両方を設定したが、出品車は6基のウェーバー製キャブレターを組み合わせる前者である。5000Sはトータルでも321台しか生産されていない、希少なモデルである。
ポロ・ストリコ証明書を持つ優良個体
ランボルギーニのクラシック部門であるポロ・ストリコによれば、このモデルは1983年7月12日にイタリア・ボローニャのエミリアン・オートにデリバリーされた後、アメリカのミネソタ州へと送られ、同州のカスタマーに売却され2001年5月まで所有されていたと推定される。
その後オハイオ州のオーナーの手に渡ったこの5000Sは、2015年から2016年にかけて完全なオーバーホールを受け、2017年にはミシガン州で開催されたコンクール・デレガンス・オブ・アメリカで、モダン・クラシック・クラスの1位を獲得した。さらに2024年に再度メカニカルな整備を受けた後、2025年にはポロ・ストリコによるエンジン、ギアボックス・デファレンシャルのナンバーマッチングを含む、正式な証明書を取得している。現在の走行距離は3万7021kmだ。
RMサザビーズは、この1983年式ランボルギーニ カウンタック5000Sに60万ドルから70万ドル(邦貨換算約8030万円〜1億302万円)というエスティメートを設定した。これは、生産台数が321台という希少性への期待も込めた数字である。
実際にその入札が止まったのは63万7500ドル(邦貨換算約9383万円)であった。カウンタックももはや、普通のスーパーカーファンには手の届かない、特別な存在になったといえる。
