約150台しか生産されなかった小さなクラシック・フェラーリ
2025年8月にアメリカ・カリフォルニア州で行なわれた世界屈指のクラシックカーイベント「モントレー・カーウィーク」においてRMサザビーズのオークションが開催されました。そこに希少な1969年式フェラーリ「ディーノ206GT」が出品。ご存知のとおりエンツォの息子ディーノの名を冠した小型フェラーリは、同社初のミッドシップ量産車として知られる伝説的モデルです。今回出品された車両は丁寧なレストアを受けていました。車両のあらましとオークション結果について紹介をします。
エンツォ翁が設計者である愛息の名を冠した
1960年代半ば、初めて「Dino」のバッジを付けたフェラーリ製ストラダーレが登場したとき、スモールサイズのフェラーリというコンセプトは特別に新しいものではなかった。
エンツォ・フェラーリの夭折した長男ディーノは、V型6気筒エンジン設計の熱心な提唱者であったが、デュシェンヌ型筋ジストロフィーと診断され、病床にあっても休むことなく設計に取り組み続けた。しかし1956年に24歳の若さでこの世を去ってしまう。ディーノはブランド初のV型6気筒エンジンの発案者として知られるが、その完成を見ることなく世を去ってしまったのである。そのわずか1年後、彼が設計したエンジンは、F1GPやスポーツカーレースで輝かしい成功を収めることになった。
いっぽうエンツォ・フェラーリは、ポルシェに直接対抗できるような量産スポーツカーを長年望んでいた。そこで愛する息子が提唱していた原理とディーノV6エンジンを用いて、マラネッロの開発チームに新車をゼロから設計するよう命じた。
こうして誕生したディーノ206 GTは、同社初のミッドシップレイアウトを採用した量産車である。また初のV型6気筒DOHCエンジン(排気量は2L)を搭載したモデルとなった。4本のカムシャフトを覆う各カムカバーには「Dino」の文字が誇らしげに刻まれている。
ディーノ206 GTにおいてフェラーリは、軽量なオールアルミ構造(当時としてとくに先進的であった)と卓越したハンドリング、歌うように唸るエンジン、時代を超えたスタイリングを融合させた真のドライバーズカーを実現した。
アルド・ブロヴァローネとレオナルド・フィオラヴァンティのデザイン構想は、名門カロッツェリア・スカリエッティの工房で具現化された。ピニンファリーナのスティリスタたちが描いたゴージャスで流麗なボディラインは、すべてアルミニウム合金で形成された。エンジンの排気量を2.4Lに拡大した後継車246 GTのスチール製ボディよりも大幅に軽く仕立てられていた。
亡き愛息の夢が現実となったこのクルマに、エンツォはフェラーリの象徴である跳ね馬ではなく、ディーノ自身のサインをノーズに飾ることを当然のことと考えた。こんにち、ディーノ206GTは多くのフェラーリ通たちから、より個性的かつ重要なディーノ市販モデルと見なされている。
また間違いなくもっとも希少なモデルのひとつであり、1968年から1969年にかけて生産された手作りの全アルミボディの206GTは約150台のみである。その後の生産は、ホイールベースや全長を伸ばし、ボディシェルもスチール化した246GTへと移行していく。
総額8万ドルのレストア作業を施すもフェラーリ・クラシケの記述がない
RMサザビーズ「Monterey 2025」オークションに出品されたこの1969年式ディーノ206GTのシャシーNo.00332は、206GTとしての生産終了間際に完成した車両である。1967年から1969年までのわずか3年足らずの生産期間に製造された153台(ほかに150台、152台説など諸説あり)のうち、115台目に当たるとのことだ。
マラネッロ工場からの出荷時には、のちにロッソ・ディーノとも呼ばれる「ロッソ・キアーロ」なるオレンジ色で仕上げられた。当初はイタリア・ナポリ在住のジュゼッペ・チンクエグラーナ氏に納車されたものの、わずか1年後にはローマに在住するセカンドオーナーに売却された。
その後もイタリア国内で複数のオーナーのもとを渡り歩いたが、1982年にはカナダへと輸出された。そして2016年に購入した人物によって米国へ輸入され、現在まで合衆国内に生息している。
車両とともに保管されている請求書と部品注文書から判明しているとおり、この206GTは2025年4月に完了したエクステリアおよびメカニカルパートのレストア作業を受けている。この際、内装もベージュの純正スペックのレザーで張り替えられた。また、燃料システムやブレーキシステムの整備、ホイールの再塗装など、そのほかのさまざまな問題にも対処された。総額8万ドル以上を投じて外観・機械的な状態を適切に復元した、とRMサザビーズ社の公式カタログには記されている。
しかし、エンドマフラーが206GTの特徴である細い4本出しから、同じ4本出しでも246GT用と思しき、断面を斜めにカットした太いものとされているなど、オリジナル性の面でいささか疑問が感じられる。これはあくまで筆者が写真から判断した見立てである。
くわえて、現在のクラシック・フェラーリでは常套となっている「フェラーリ・クラシケ」の正統性承認を受け、同部門の「レッドブック」を発行されていた場合、必ずカタログにもその事実を誇示するはずだ。しかし、このオークション出品に際してRMサザビーズ北米本社は、少なくとも公式カタログ内ではそのような記述を一切行っていない。
そして、この点について売り手サイドにも思うところがあったのだろうか。公式カタログ内では
「史上もっとも崇高なフェラーリ・ロードカーのひとつであるディーノは、ライトウェイトスポーツカーの性能と美しいデザインを兼ね備えています。なかでもシャシーNo.00332は機械的・外観的な修復を施された状態で、206GT生産最終年の傑出した1台」
と麗々しくアピールしながらも、60万ドルから80万ドル(邦貨換算約8800万円〜1億1840万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定していた。この価格は、ここ数年のアメリカにおける同モデルの相場価格からすると、比較的低めとも受け取れる。
かくして迎えた8月16日のオークション当日。モントレー市内の大型コンベンションセンターと隣接するホテルにも会場を広げて挙行された対面型競売では、エスティメート下限を超える64万8500ドルで落札された。現在の為替レートで日本円に換算すれば約9540万円となる。このところ1億円オーバーが当たり前のようになっているディーノ206GTとしてはかなりリーズナブルな価格で、壇上の競売人のハンマーが鳴らされることとなった。
