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フルレストアを施してない1967年式フェラーリ「275GTB/4」!奇跡の保管状態もあって約5億円で落札

350万ドル(邦貨換算約5億1800万円)で落札されたフェラーリ「275 GTB/4」(C)Courtesy of RM Sotheby's

2年間しか生産されなかったドライサンプDOHCエンジン搭載の名作275GTB/4

1964年に誕生したフェラーリ「275GTB/GTS」は、クラシック・フェラーリの中でも特別な存在です。1966年には4カムV12エンジンを搭載したGTB/4が登場し、エレガントなボディと高性能を両立した名車として知られています。2025年8月のモントレー・オークションに出品された275GTB/4は、レストアを施されることなく新車当時の姿を保つ“奇跡の個体”。走行距離はわずか2万kmあまりで、その保存状態は驚くほど良好でした。

フェラーリの技術革新直前の歴史的アイコン

マラネッロ(フェラーリの工場)にとって「ヴィンテージ」時代に製造された最後の跳ね馬のひとつであるフェラーリ275GTB/4は、1947年の創業以来の伝統的な知見の結晶である。

先行する偉大なフェラーリたち同様、このモデルはグラントゥリズモ・ベルリネッタとして定義される。クローズドボディを持つデュアルユースのGTカーであり、サーキットまで自走してレースに出場した後、そのまま自宅まで帰還できる性能と耐久性を兼ね備えていた。

マラネッロでは初となった4カムエンジン搭載の市販ストラダーレは、1966年パリ・サロンにて発表され、その2年前にデビューしていた275GTBの後継車となる。外観上は直前の2カムモデルとほぼ同一で、高速走行時のフロントリフト防止のためオリジナル275の生産後期に採用されたロングノーズを継承していた。

しかし、275GTB/4の真価はボンネット下に隠されていた。名匠ジョアッキーノ・コロンボ技師が設計したショートブロック3.3L・V12エンジン(ティーポ226)は、新たに各バンクあたりDOHCのヘッドを搭載した。

カロッツェリア・スカリエッティ製のボディワークには、4カム(DOHC)化と6基のツインチョークキャブレターの全車標準採用によって若干頭頂部が嵩張るようになったV12エンジンに対応するため、中央部が盛り上がったデザインへと微調整を施したエンジンフードが追加された。

ドライサンプ潤滑と6基のウェーバー40 DCN/9(またはDCN/17)キャブレターを備えた新エンジンは、2カム(SOHC)の前モデルより20psのパワーアップに成功した。変速機とクラッチを後部に置くトランスアクスルレイアウトの最適な前後重量バランスによる俊敏さを得た275GTBに、さらなる性能向上をもたらした。さらに275GTB/4には、275GTBの後期モデルで選択可能となったトルクチューブ式のドライブシャフトも標準化され、従来モデルを悩ませてきたドライブトレーンの振動問題も解消された。

新型275 GTB/4はフェラーリ史上もっともダイナミックなロードカーのひとつだ。後継となるデイトナが1970年代の美学への移行を示すまったく異なるスタイリングとなったこともあり、クラシックなV型12気筒フロントエンジンモデルの最後を飾る存在として永遠に記憶されることとなった。

しかし、デビューから2年足らずの1968年に生産終了となるまで、275 GTB/4はわずか330台しか製造されなかった。この希少性も崇高なフェラーリにさらなる価値を加えている。

故障でエンジンを下ろした状態のまま約30年間保管されていた

RMサザビーズ「Monterey 2025」オークションに出品されたこのフェラーリ275GTB/4は、驚くべきオリジナル状態を誇る。「フェラーリ・クラシケ」によるマッチングナンバー認定も受けた卓越した個体であり、同社は近年マーケットに売り出された同型車でも最高峰に属する個体と自己申告していた。

フェラーリの歴史の世界的権威、マルセル・マッシーニ氏の調査によれば、シャシーNo.09931は1967年5月に組み立てが完了。エレガントなカラーコンビである「ロッソ・ルビーノ」塗装にベージュのレザー内装を組み合わせた。シートのインサートは、きわめて希少かつ人気の高いコーデュロイ生地のコンビでオーダーされた。

イタリア・ミラノの著名にして老舗のフェラーリ正規ディーラー「M.ガストーネ・クレパルディ・アウトモービリ」社を介して販売され、1967年5月下旬に初代オーナーである地元住民ルイジ・ミスキ氏に納車された。

その後、1970年初頭までにGTB/4はアメリカへ輸出され、間もなくビバリーヒルズのディーラー「ローマ・モーターズ」によって売り出される。そしてこの年の4月、走行距離約1万1000キロの段階で、カリフォルニア州リバーサイド在住の米空軍大佐デール・ページ「DP」スミス氏が購入した。

スミス大佐はそのあと数年間は断続的にこのフェラーリを楽しみ、さらに約7000kmをオドメーターに重ねた。しかし1970年代半ばにカムシャフトの故障により走行不能となってしまう。熱心なアマチュアメカニックでもあったDPは、オーバーホール計画のもとエンジンを降ろし、部品を丁寧に袋詰めして保管することとした。英国の正規フェラーリ輸入代理店である名門「マラネッロ・コンセッショネアーズ」にもアドバイスを求めている。

大佐がプロジェクトを完遂する資金を調達できず、275GTB/4は1995年に彼が亡くなるまで保管されたままとなった。大佐にとっては残念なことだが、車両のオリジナル性を将来にわたり保存する上では結果として幸運となった。さらに、V12エンジンを車体の横に置いて保管し、サスペンションとホイールも取り外されて、30年近くにわたって負荷のかからない状態に安置され最適な保存がされたことも救いとなった。

1996年、故スミス大佐の遺産管理者はこのフェラーリをロードアイランド州のフレデリック・ペサトゥーロ氏に売却した。彼は後に、現在も車両ファイルに保管されている詳細な鑑定書を作成した。新オーナーは間もなく、著名なイタリアンスポーツカーの専門家で、かつてランボルギーニの開発ドライバーを務めていたボブ・ウォーレス氏に、機械的なオーバーホールを依頼することとした。

ウォーレスは、ディスカバリーチャンネルの人気コンテンツ「Chesing Classic Cars(日本名:クラシックカーコレクション)」でもおなじみ、ウェイン・カリーニ氏の率いるコネチカット州ポートランドの「F40モータースポーツ」社と協力し、シャシーとエンジンを丁寧に再調整した。オーナーは塗装と内装の美観を細部まで手入れしようと考えたが、この時点でもボディのペイントやインテリアの状態が良かったことから、フルレストアはせず小規模な手入れに留めることにした。

同時にレザーシートは手入れされ、コード生地のインサート部分はフェラーリ工場から入手した新品の純正部品に交換された。この交換部分を除き、内装は完全にオリジナルとされている。

一連の作業完了の後、このベルリネッタは2000年5月にボストン郊外のラーズ・アンダーソン自動車博物館で開催された「トゥット・イタリアーノ」コンクールに出品され、最高賞の「ベスト・イン・ショー」を受賞した。

数々のコンクールで高い評価をされた極上コンディション

ペサトゥーロ氏は小規模修復とコンクール出品の後、この美しいフェラーリを静態保存状態へと戻した。シャシー部品への負荷を避けるためブロック上に載せ、10年以上にわたって空調管理されたガレージで保管することにした。

しかし2011年になると、この275GTB/4はカリフォルニア州アサートン在住のフィル・ホワイト氏に売却された。同年にはモントレー半島カーメル・バイ・ザ・シーの「コンクール・オン・ザ・アベニュー」、「ダンビル・コンクール・デレガンス」、「ヒルズボロ・コンクール・デレガンス」など、複数の地元カーショーに出展されることになる。

2011年11月、この275GTB/4には「フェラーリ・クラシケ」のレッドブックと対応する正統証明書が発行された。エンジンおよびギアボックスとトランスアクスル、ボディワークがすべてマッチングナンバーであることが認証され、車両の高いオリジナル性がさらに裏付けられた。翌年、このベルリネッタは2012年「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」のプリザーヴド(ノンレストア)部門で高い評価を得た。

2013年、このフェラーリはカリフォルニア州ポートラバレー在住の愛好家が入手し、同年8月には「ザ・クエイル・モータースポーツ・ギャザリング」に出展された。オリジナルの「MI(ミラノ)」ナンバープレートに至るまで驚異的な保存状態で、観衆を再び圧倒することになった。

現在、公式オークションカタログ作成時の走行距離計は2万950kmを示しており、過去45年間でわずか2950kmしか走行していないことを示唆している。この走行距離は、現存するフェラーリ275GTB/4でもっとも少ない走行距離を記録した実例のひとつと見込まれている。

オーナーズマニュアルや純正ツールロール、トランク内の純正スペアタイヤを完備したこの驚くほどオリジナルな状態を保ち、完全修復されたことのない275GTB/4は、あらゆるティフォーゾ(フェラーリ愛好家)が羨むほどの類まれな純粋さを示している。

今回のオークション出品に際してRMサザビーズ北米本社は

「ロングノーズ/トルクチューブ/4カムという275GTBプラットフォームの最高峰構成を完璧に体現しているシャシーNo.09931は、この重要なモデルのもっともオリジナルな個体を求めるフェラーリコレクターにもとくに適した1台。最高峰の跳ね馬コレクションを、さらに格上げする存在となるでしょう」

と華々しく謳いあげるとともに、350万ドルから400万ドル(邦貨換算約5億1800万円〜5億9200万円)という、いかにも自信ありげなエスティメート(推定落札価格)を設定した。

そして迎えた8月16日のオークション当日。モントレー市内の大型コンベンションセンターと隣接するホテルにも会場を広げて挙行された対面型競売ではエスティメートに届く350万ドルで落札された。現在の為替レートで日本円に換算すれば約5億1800万円という驚きの高価格で競売人のハンマーが鳴らされることとなった。

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