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航空機技術を纏った流線形アルミボディのフィアット508C「アラドーロ」

フィアット 508C アラドーロ:アラドーロ(Alla d’oro)とは、イタリア語で「黄金の翼」の意味

第二次世界大戦勃発直前に製作された希少なモデル

日本海クラシックカーレビューは、新潟県糸魚川市で毎年開催される歴史あるヒストリックカーの祭典です。国内外の名車が集うなか、注目を集めたのが1930年代のイタリア車であるフィアット「508C アラドーロ」でした。航空機を思わせる流線型のアルミボディをまとい、当時のモータースポーツの息吹をいまに伝えています。オーナーの荒木俊孝さんは長年にわたりヒストリックカーを愛し、自らの手で整備を重ねながら、走る文化遺産を受け継いでいます。

フィアット508Cをベースにしたスペシャルモデル

「1974年以前に生産されたノーマル車」を参加要件を満たしていれば、スポーツカーから商用車まで、年式やメイクスを問わずエントリーできるイベントが「日本海クラシックカーレビュー」である。130台の参加車のうち7割ほどは戦後生まれの国産車であり、日本モータリゼーションの発展の歴史からすれば妥当な勢力分布と言える。

参加車のなかで、ひと際注目を集めたのがこのフィアット508C「アラドーロ」である。古いイタリア車好きであればご存知のとおり、1932年にミラノ・ショーでデビューしたフィアット508バリラ(508A)は、当時としては進歩的な内容を持った小型セダンである。1934年には改良型の508Bをリリースし、さらに1937年には「ヌォーヴァ・バリラ」と呼ばれる新型が508Cとして登場した。

進歩的でバランスの取れた設計の508系は、のちのフィアット600やヌォーヴァ・チンクエチェント(500)などと同様に、モータースポーツのベース車両としても適しており、軽快なオープンスポーツから空力に優れたクーペボディまで、多くの派生モデルが生み出された。さらに508Cのシャシーをベースに、チューナーやカロッツェリアの手によって、数多くの「スペシャル」も造られた。

本レビューにエントリーしたフィアット508C「アラドーロ」も、このような特別なモデルの1台である。アラドーロ(Alla d’oro)とは、イタリア語で「黄金の翼」の意味だ。その名のとおり、航空機の技術に習った流線型のアルミボディが大きな特徴で、製作は1900年にモデナで創業した名門コンストラクター/チューナーとして名高いスタンゲリーニの手による。

「私はこの趣味にはバイクから入ったのです。16歳の頃からです。当時は生沢徹さんとも走ったりしました」

と語ってくれたのは、アラドーロのオーナー、荒木俊孝さんである。

荒木さんはこの他にも、貴重なヒストリックカーを6台ほど所有している。ポルシェ356カレラやヒーレー・シルバーストーン(!)などの愛車で

「鈴鹿のル・マン・クラシックやラ・フェスタ・ミッレミリアなど、さまざまなイベントにも参加してきました」

という経験を持ち、まさにクルマ趣味界の重鎮にして大先輩と言える存在だ。イベントのリストでは車両の年式は1939年式となっている。この年はナチス・ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発した年であり、ミッレ・ミリアも中止となった。

第二次世界大戦前に誕生したフィアット508Cをベースに生み出され、戦後にはミッレ・ミリアなどのレースで活躍したフィアット508C「アラドーロ」は、一説によれば5台ないし8台が製作されたとも言われる。戦争による国土の荒廃はイタリアでも日本と同様に深刻だったが、1947年には早くもミッレ・ミリアが再開されるなど、イタリアの人々は衣食住と同じくらい、モータースポーツを必要としていたのであろう。

日本海クラシックカーレビューのイベントコンテンツとして開催された「ジョイフル・ラリー」に、1.1Lの軽快なエンジン音を響かせて勇躍スタートしていった荒木さんのフィアット508C「アラドーロ」の姿を見て、ふとそのようなことを感じた。

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