自動車メーカーは破産したが展示物が物語る高かった開発者の志
モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回取り上げるは、2011年に消滅した自動車メーカーのサーブです。その歴史と精神は「サーブ博物館」で展示され、今も多くのファンが訪れています。航空機メーカーらしい発想や、独自の技術を物語る初期モデルが並び、同社の歩みを立体的に知ることができます。その展示車たちが語るサーブの原点と魅力を追ってみました。
会社は消滅しても4万人以上が訪れる人気スポット
元々は航空機の製造を行っていたSaab ABを親会社として誕生したのが、サーブ・オートモビルABである。初期には、独特な形をしたモデルがコアな人気を作り上げ、熱烈に支持されたこともあるが、残念ながら2011年に破産申請され、現在、会社は存続していない。
ところが、1975年にサーブ車だけを集めたサーブ博物館は今も存在し2024年には、開館以来最大の来訪者である4万1800人を記録した。2025年には開館50周年のアニバーサリーイヤーを迎えた。サーブの本拠地は、スウェーデンのトロールヘッタンというところにあり、ボルボの本拠があるイェテボリからは、真北に80kmほど行った場所だ。
ここには何度か訪れたが、ミュージアムに行ったのは2001年。今から24年前のことだ。じつは、個人的には4台のボルボを乗り継いだため、どちらかといえばボルボ派だった。しかし、筆者にとってサーブは遠い存在だったかというと、そうでもなく、父親がサーブ「900ターボ」を持っていた関係で、じつはサーブにもよく乗っていたのである。しかも我が家のサーブは、オーダーミスで日本にやってきた、4速マニュアルを装備した900ターボだ。そのため、恐らく日本で正規輸入されたマニュアルの900ターボはこれ1台だったはずである。
乗って面白いかといわれると、当時のボルボ同様、決してエキサイティングなクルマではなかったが、北欧のクルマらしく実直な感じで作りもそれなりに良かった。とくにボディサイドにいわゆるステップがなく、ドアがボディ最下面まで覆っている構造は、今でこそ同じようなつくりが存在するものの(とくにスバル フォレスターなどのSUV)、雪や泥を室内に入り込ませない独特な構造は、当時はユニークさを感じさせたものである。ちなみに、量産市販車としてターボチャージャーを装着したエンジンを搭載したのは、サーブが初めてだった。
航空機メーカーのDNAが1940年代にCD値0.32のエアロボディを実現
そもそもその社名がスウェーデンの航空機会社を意味するSvenska Aeroplan Aktiebolagetの頭文字を取ったものだから、最初期の自動車開発には航空機のアイデアが色濃く反映された。独特なスタイルのボディは、1940年代に既にCD値0.32を誇った。これは当時としては、群を抜くエアロボディを纏っていたことになる。
博物館には当時、最初期のいわゆるUrサーブから、99あたりまでが展示されていた。もちろん航空機メーカーであるから、天井からは航空機も吊り下げられていたが、基本的に建屋のサイズはそれほど大きくないため、展示車両はせいぜい20〜30台ほどだったと記憶する。当時会社は存在していたため、博物館もサーブ・オートモビルが所有していたが、破産後は親会社のサーブAB、トロールヘッタン市などが共同所有しているそうだ。
カエルに見えるボディスタイルであっても燃費性能を最優先
ミュージアムのクルマを何台か紹介しよう。まずはUr Saabと呼ばれる、92のプロトタイプだ。Urはスウェーデン語でオリジナルを意味し、このモデルが最初のプロトタイプであったことを示している。このクルマは驚いたことに、その当時、まずボディありきで作られたようで、エンジンはDKWの2サイクルエンジン、燃料タンクはアウトウニオンのもの、その他のパーツも多くがスクラップヤードから拾い集められたもの。
2号車以降はオリジナルのサーブエンジンを搭載しているようだが、この1号車から3号車までのプロトタイプで、合わせて53万kmを走破するテストが行われたそうだ。こうして1949年に、サーブ92として世に出るのである。
余談ながら、このスタイルを見た首脳陣も、あまり良い顔をしなかったそうだが、開発トップのグンナー・ユングストロームは
「年間100Lの燃料を節約できるなら、たとえカエルのように見えても問題ない」
と、首脳陣を説き伏せた。
サーブ92はその発展形を数えると、1949年の92発表からV4を搭載した96に至るまで、30年以上にわたり、この「蛙に見えても構わない」スタイルのモデルを作り続けた。最後のV4エンジン搭載のサーブ96がラインオフしたのは、1980年1月8日である。ラリーでサーブに貢献したエリック・カールソンがドライブして工場を後にしたそうだ。
ちなみにこのクルマが作られたのは、フィンランドのヴァルメット工場だ。ここは後にメルセデスGLC、ポルシェ・ボクスターなどが作られた会社である。そのエリック・カールソンは、サーブ96を操ってモンテカルロラリーを2度制覇した。彼の奥さんは、あのスターリング・モスの妹、パット・モスである。
2基の2サイクルエンジン搭載車「モンスター」とソネットの誕生秘話
博物館のなかでひときわ異彩を放つのが、英語読みでモンスターと名付けられたクルマだ。93をベースに、軽量化のためにボンネットをプラスチックに変更し、不要なものを取り去ったボディに載せられたのは、既存の748cc2サイクル3気筒エンジンを“2基”搭載したものだ。間違っても6気筒ではない。あくまでも実験用に作られたクルマで、量産化を考えたかどうかは不明だが、パワーに対して全体のバランスが悪かったからか、コーナリングは困難であったようだ。それでもトップスピードは196km/hに達したという。
92から始まった連番の車両名は、94が事実上途切れる。理由はすでに94という番号を、航空機のコード番号として使っていたからということだ。デビュー当初94と名付けられたのは、オープン2シーターのモデルで、後にそれはソネットとして市場に投入される。最初のソネットはレース好きのエンジニア、ロルフ・メルデを中心とした小規模なメンバーで開発が始まった。最初の94を名乗ったソネットは、1956年に6台しか作られなかった。
92から99に至るサーブ車のデザインを担当したのは、シクステン・サソンという人物だ。そして彼の個人的プロジェクトとして始まったのが、カテリーナと呼ばれるモデルである。デザインだけ見れば後のソネット2との共通点が見いだせるが、そこに至るにはもう1台のモデルが存在する。
それがMFI13と呼ばれたモデルだ。MFIはMalmö Flygindustri(マルメ・フリク・インダストリ)の頭文字である。そして13は意味がないが、不吉な番号だから他が絶対に付けないということで選ばれた。ボディはスチール製だが、これは後にグラスファイバーボディを作る際の元型として使用できるようにされていたそうだ。つまり、これが後のソネット2の原型というわけである。
このようにサーブ博物館は、今も多くの人々を魅了する場所として、サーブファンに人気を博している。もちろん、スウェーデンの人ばかりでなく、訪問客は世界中からやってくる。
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