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会社は消滅しまっても大人気?「サーブ博物館」が今も人を惹きつける奇才性【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

  • サーブ 95:1959年に登場したワゴンタイプ。ドアヒンジが車体中央にあるのは初期モデルの特徴
  • サーブ92 プロトタイプ:Urサーブの名を持つ92のプロトタイプ。ドアは非常に厚い
  • エリックカールソンと戯れる筆者
  • サーブ モンスターは2基の2ストローク3気筒エンジンを搭載
  • サーブ 92:フルスケールで生産が始まったのは1949年12月なので、このクルマは実質的に1950年製
  • サーブ 94:後にソネットIと呼ばれるモデル。6台しか作られていない
  • サーブ 96:コードネーム93Cとして1960年に登場したが、この時はまだ2サイクル3気筒エンジン。フォード製V4が搭載されたのは1967年モデルから。展示車はファイナルモデルとして工場を後にしたものだ
  • サーブ モンスター:エンジンを2基横置きに並べて搭載し、180度逆向きの後方排気レイアウトを採用する
  • 現在の博物館全景。行った当時はこんな立派だとは思わなかったが…
  • サーブ ソネット III:ボディデザインはイタリアのカロッツエリア・コッジォーラ。展示車は1972年以降のビッグバンパー装備のモデル
  • サーブ ソネットⅡ:一般的にソネットⅡには2種あり、展示車は2サイクルエンジン搭載車で、ボンネットに膨らみのあるV4搭載車もある
  • サーブ カテリーナ:デザイナー、シクステン・サソンの個人的プロジェクトとして製作されたワンオフモデルである

自動車メーカーは破産したが展示物が物語る高かった開発者の志

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回取り上げるは、2011年に消滅した自動車メーカーのサーブです。その歴史と精神は「サーブ博物館」で展示され、今も多くのファンが訪れています。航空機メーカーらしい発想や、独自の技術を物語る初期モデルが並び、同社の歩みを立体的に知ることができます。その展示車たちが語るサーブの原点と魅力を追ってみました。

会社は消滅しても4万人以上が訪れる人気スポット

元々は航空機の製造を行っていたSaab ABを親会社として誕生したのが、サーブ・オートモビルABである。初期には、独特な形をしたモデルがコアな人気を作り上げ、熱烈に支持されたこともあるが、残念ながら2011年に破産申請され、現在、会社は存続していない。

ところが、1975年にサーブ車だけを集めたサーブ博物館は今も存在し2024年には、開館以来最大の来訪者である4万1800人を記録した。2025年には開館50周年のアニバーサリーイヤーを迎えた。サーブの本拠地は、スウェーデンのトロールヘッタンというところにあり、ボルボの本拠があるイェテボリからは、真北に80kmほど行った場所だ。

ここには何度か訪れたが、ミュージアムに行ったのは2001年。今から24年前のことだ。じつは、個人的には4台のボルボを乗り継いだため、どちらかといえばボルボ派だった。しかし、筆者にとってサーブは遠い存在だったかというと、そうでもなく、父親がサーブ「900ターボ」を持っていた関係で、じつはサーブにもよく乗っていたのである。しかも我が家のサーブは、オーダーミスで日本にやってきた、4速マニュアルを装備した900ターボだ。そのため、恐らく日本で正規輸入されたマニュアルの900ターボはこれ1台だったはずである。

乗って面白いかといわれると、当時のボルボ同様、決してエキサイティングなクルマではなかったが、北欧のクルマらしく実直な感じで作りもそれなりに良かった。とくにボディサイドにいわゆるステップがなく、ドアがボディ最下面まで覆っている構造は、今でこそ同じようなつくりが存在するものの(とくにスバル フォレスターなどのSUV)、雪や泥を室内に入り込ませない独特な構造は、当時はユニークさを感じさせたものである。ちなみに、量産市販車としてターボチャージャーを装着したエンジンを搭載したのは、サーブが初めてだった。

航空機メーカーのDNAが1940年代にCD値0.32のエアロボディを実現

そもそもその社名がスウェーデンの航空機会社を意味するSvenska Aeroplan Aktiebolagetの頭文字を取ったものだから、最初期の自動車開発には航空機のアイデアが色濃く反映された。独特なスタイルのボディは、1940年代に既にCD値0.32を誇った。これは当時としては、群を抜くエアロボディを纏っていたことになる。

博物館には当時、最初期のいわゆるUrサーブから、99あたりまでが展示されていた。もちろん航空機メーカーであるから、天井からは航空機も吊り下げられていたが、基本的に建屋のサイズはそれほど大きくないため、展示車両はせいぜい20〜30台ほどだったと記憶する。当時会社は存在していたため、博物館もサーブ・オートモビルが所有していたが、破産後は親会社のサーブAB、トロールヘッタン市などが共同所有しているそうだ。

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