雑誌と街中で見たヨタ8に感動して購入!
旧いクルマとの出会いは、思わぬきっかけから始まることがあります。川村さんの場合は、1冊の雑誌を手にしたことから、旧車の世界へ深く踏み込んでいきました。そこから仲間が生まれ、イベントの運営に関わり、生活の一部になるほどの趣味へと発展していきました。今回は川村さんの愛車のホンダ「N III 360」について話を伺ってきました。
クラシックカーイベントのスタッフとして参加するなど“沼”にハマる
川村圭一さんの愛車遍歴は、中古の日産「230ローレル」とトヨタ「KP61スターレット」であった。その川村さんが、本屋で「ノスタルジック’60」というヒストリックカーのムック本を手にした32年前。クルマ選びは旧い方へと大きく傾いていった。
「ちょうど本を買ったタイミングで、街を走るヨタ8(トヨタ スポーツ800)を見て感動したのが始まりでした」
その後、川村さんはすぐにヨタ8を手に入れた。
また、地元のクラシックカークラブ「JHCC(ジャック ヒストリックカー クラブ)」の事務局である喫茶店 ジャックと豆の木に通うことから、川村さんはさらに深くヒストリックカーの趣味へとのめり込んでいった。
今回の群馬県・桐生八木節まつりでのクラシックカー展示も、地元クラブであるJHCCの協力で実現した企画だ。この日もスタッフとして、クルマ搬入時の誘導や交通整理などの役目をこなしていた川村さんだが、毎年定例の群馬大学 桐生キャンパスで開催される「クラシックカーフェスティバル in 桐生」へもスタッフとして参加し、200台近い来場車と2万人近くの一般見学客を迎え入れている。ヒストリックカーの趣味は、川村さんの生活の一部になっているようだ。
現在の愛車は、知人が手放すということで譲り受けて12年の付き合いになるホンダN III 360である(以降N III)。
ホンダ初の本格的量産型乗用車として、1966年の第13回 東京モーターショーで発表され、翌1967年3月にデビューしたN360は、FF方式(前輪駆動)を採用することで広い室内空間を確保し、高出力エンジンを搭載してベストセラーとなった。川村さんの所有するクルマは、N360の第三世代として1970年1月に登場したN IIIである。
ボディサイズの変更はないが、リアのトレッドを5mm広くすることで走行安定性の向上を図った。フロントマスクが大きくリニューアルされた外観は新世代モデルをアピールしたデザインとなり、それまでの4速ドグミッションから、操作性やフィーリングも大幅に改善された4速フルシンクロメッシュのトランスミッションを搭載した。加えて、新たな遮音吸音材により静粛性も大きく改善されるなど、正常進化したモデルである。
川村さんも、エンジンのパワーバンドに乗せてシフトアップしていく時の心地よさ、コーナリングの良さは通勤しているだけでも楽しいと、N IIIにすっかり魅せられている様子である。
追突事故の大破から別のボディで復活へ!エンジンを移植
その愛車について
「じつはこのN IIIは1.5台目なんですよ」
なんとも不思議な言い方の川村さんに、その理由を聞いてみた。
「最初のN IIIは乗り始めて3年経つか経たないかの時に追突されて大破してしまったんです。もう直せないと諦めていた時に、偶然に年式とグレードが同じクルマが見つかったんです。そのボディに最初のエンジンを移植したクルマなんですよ」
追突された事故にもかかわらずフロントまで歪み、モノコックにまで及んだ事故で、身体が無事で何よりだが、めげずにNIIIを復活させた川村さんは、それまでと変わらず、通勤はもちろん、地元草木ダムでのクラブミーティングには毎月参加するなどN IIIを楽しみ続けている。
サフェーサーがいつしか普通のボディカラーに
その後、傷んできたボディの修復を考えていたところ、ちょうどコロナが猛威を振るい始めた。
「会社への通勤が減ったこともあり、乗り続けながらボディの修復作業を始めました」
また、前後して同時期にオイルの消費も激しくなり、エンジンを開けるとピストンリングが割れていることが発覚した。フランス向けのピストンキットを手に入れて、この部分もオーバーホールを施した。
「パテを盛ってペーパーをかけて、なんとかサフェーサーまでたどり着いたのですが、しばらくすると通常通りの勤務体系に戻ってしまい、本塗りができないまま3年経ちました。それでも近所のおばさんに『大人っぽい色にしたのね』なんて言われたり、このままでも悪くないのかなんて思っています(笑)」
N IIIは、川村さんに自分でクルマをいじる楽しみを教えてくれた存在である。
