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今では絶対にありえない!フィアット歴史センターの貴重な展示車を街中で試乗させてもらった【クルマ昔噺】

博物館の玄関正面に置かれていたフィアット124アバルトラリー

フィアットの原点を伝える「チェントロ・ストリコ」

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回は、イタリア車好きにとって特別な場所を紹介します。それはトリノにある「チェントロ・ストリコ・フィアット(フィアット歴史センター)」です。巨大メーカーの博物館でありながら、その空気感はどこか親しみやすく、展示車両も驚くほど近いところにありました。著者が1970年代に実際に訪れたときの歴史センターならではの忘れがたいエピソードを交えながら、フィアットというブランドの懐の深さを紹介します。

館長のはからいで今では考えられないほど奇跡的の体験

フィアットの博物館は「チェントロ・ストリコ・フィアット」という。日本語に訳せば、フィアット歴史センターというところである。もともとフィアットはFIAT(ファブリカ・イタリアーナ・アウトモビリ・トリノ)の頭文字だ。イタリアの自動車会社の多くは、こうした頭文字の並びを社名にしている。ALFAしかり、OSCAしかりといった具合である。

ここを訪れたのは、1979年のこと。もう名前を失念してしまったが、当時の博物館の館長であった方が取材の終わりに

「何か好きなクルマを乗せてあげるから言いなさい」

という信じられないオファーをくれた。それならこれ、と指したあるクルマは

「あれはダメだ。理由は路上を走る仮ナンバーが取得できないから」

とのこと。

ならばこれ、と指したのが「フィアット8V」と名付けられた、2LのV8エンジンを搭載した洒落たスポーツクーペ。

すると

「OK、ほかには?」

と来た。

伝説のラリーカーと希少なクルマでトリノの街を走る

あり得ないと思いつつ、じゃあこれ、と指したのはフィアット「124アバルトラリー」である。と言ってもただのアバルトラリーではなく、マウリツィオ・ヴェリーニが1975年のヨーロピアン・ラリー・チャンピオンを獲得したマシンそのものである。このマシンはフランス、スペイン、イタリア、ユーゴスラビア、そしてポーランドで優勝したマシンだ。そんなクルマを貸し出して試乗させてくれるという。信じがたいのだが。

「じゃあ明日、2台を玄関前に止めておくから乗ってきなさい……」

そして翌朝、博物館前に行くと、前日まで飾ってあった2台のクルマが本当に玄関前に止めてあった。それに乗って、トリノのヴァレンティノ公園を目指したのだが、行きが8V、帰りが124という超豪華な試乗体験ができた。

フィアットが航空機用として開発した21Lエンジンをクルマに搭載

フィアットはクルマのみならず、鉄道、船舶、そして航空機も手がけている。前述した、最初に乗りたかったがダメ出しされたクルマ「メフィストフェレス」には、航空機用のエンジンを搭載していた。

このメフィストフェレスは、1908年に作られた「SB4」と呼ばれたグランプリカーをベースに、イギリス人のアーネスト・エルドリッジが速度記録挑戦用に改造したクルマで、その航空機用のエンジンは直列6気筒、じつに2万1706ccという、とてつもない排気量のものを搭載していた。そして1924年に、当時の陸上における最高速を記録したモデルでもある。

博物館には取材のため数日訪れた。初日はホテルまでフィアットからわざわざ迎えが来てくれたのだが、その迎えに来たクルマが、なんとフィアット「130クーペ」という、これまた稀少なピニンファリーナデザインの美しいクーペだったことに感動した。

その後は131のディーゼルモデルを貸し与えてくれたので、博物館の往復のみならず、これに乗ってモンブランを超えてスイスまで行った。しかし、帰る途中でボンネットから煙を吐いてストップしたのはご愛嬌。貸し出した館長も、「まあそんなこともあるさ」と意に介さなかった。

時代を超えて受け継がれるフィアットの遺産

博物館自体は決して大きくなく、展示されていたクルマも当時はせいぜい20台ほどだったと記憶する。とくに古い名前もわからないようなモデルが多く、だから「好きなクルマを」といわれたときに、スタイルの良かった、あるいは知っている2台を選んだというわけでもある。

また、陸、海、空の乗り物すべてを製造していたことからそれらの展示も多かったことや、車種が多かったためか、模型の展示で済ませていたものも多かった。

初期のモデルに関しては、正直なところ名前や来歴などがわからない。だから、ある程度多くの皆さんが知っているようなクルマをいくつかお見せしようと思う。

その1台は「ティーポ・ゼロ」と呼ばれるクルマで、一般的には「12/15hp」とも呼ばれている。このクルマはピニンファリーナの前身ともいえる、バッティスタ・ファリーナが初めてデザインを手がけたモデルとして知られている。

有名な「バリラ」もある。タイプ名は「フィアット508」。ボディタイプはいろいろとあるが、ここにあるのは「スパイダー・スポルト」。サブネームに「コッパドーロ」が付き、このデザインはカロッツェリア・ギヤが行った。ギヤに最初の成功をもたらしたモデルでもある。

その後チェントロ・ストリコを訪れる機会はなく、今はステランティス傘下のヘリテージセンターに車両が移されているものもあるようだが、チェントロ・ストリコ自体は現在も存在する。

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