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ミウラよりレア?伝説のデ・トマソ「マングスタ」が約3690万円で落札

17万6666ポンド(邦貨換算約3690万円)で落札されたデ・トマソ「マングスタ」(C)Bonhams

デ・トマソ  ヴァレルンガの次はガルウィング式!エンジンフードの異色ミッドシップスーパーカー

名門オークショネア「ボナムズ」社が、ロンドン・メイフェア地区のニュー・ボンドストリートに構える本社ショールームを舞台として2025年12月11日に挙行した、クルマとオートモビリアのオークション「The Bond Street Sale 2025:Important Collectors’ Motor Cars and Automobilia」。そこには、マーケットに現れる機会の少ない創成期のデ・トマソ「マングスタ」が出品されていました。今回はその車両概要とオークション結果についてお伝えします。

デ・トマソの二代目で誕生した高性能スーパーカー「マングスタ」はコブラの宿敵的存在か?

1967年に登場したマングスタは、ミッドシップの高級スポーツカーの草分け的存在のひとつとして、デ・トマソを本格的な自動車メーカーとして確立させた。マングスタとはマングースのことで、「ACコブラ」への対抗心をあらわにしたネーミングだ。とはいえ、搭載されたパワーユニットは、「コブラ289」と同じ、フォード製スモールブロック289立方インチ(4.7L)V型8気筒OHVエンジンだということを考えると、「コブラ」への対抗心はシャシーとボディということだったのかもしれない。

ル・マンに挑戦し成功をおさめた「フォードGT40」にも使用されたこの象徴的な「289」エンジンは、マングスタへの搭載時には306psを発生。こちらもGT40と同じ、ZFトランスアクスルと組み合わされた。また後期の生産モデルでは、フォード「302(5.0L)」エンジンに、同じデ・トマソの「パンテーラ」にも採用されたZFトランスミッションの組み合わせに進化を遂げている。

「カロッツェリア・ギヤ」時代のジョルジェット・ジウジアーロが手がけた印象的なボディワークは、リアエンジンカバーが「ガルウィング」式を特徴とする左右に跳ね上がる形式を持つ。これはもともとジョット・ビッザリーニが自らのブランドで創ったスーパースポーツのためにデザインされたものだったといわれている。約300psを発生するうえに空力的な設計のマングスタは、最高速度約250km/hを達成。この卓越した走行性能を制御するため、全輪ディスクブレーキがおごられた。

のちに「マセラティ」や「イノチェンティ」、2輪車の「モトグッツィ」なども傘下に収めた大帝国を築き上げるアレハンドロ・デ・トマソは、当時北米のフォード・モーターズ社と緊密な関係を築き始めた時期にあった。アメリカの巨人の支援により、マングスタはデ・トマソ単独では不可能だった規模の量産を実現する。とはいえ1967年から1972年にかけて生産されたのはわずか401台。同時期のランボルギーニ「ミウラ」が765台生産されたことを考えると、マングスタはいずれも極めて稀な数字となる存在である。

ブランド登録機関の推定によれば、現存するマングスタは全世界でわずか250台程度とされ、かなりのレアモデルといえる。とくに、今回のオークション出品車両のような右ハンドル仕様車は、さらに希少価値が高いという見方もできるだろう。

オークションマーケットでの人気はエキサイティングな存在感か?

2025年末のボナムズ「The Bond Street Sale:Important Collectors’ Motor Cars and Automobilia」オークションに出品されたデ・トマソ マングスタは、このモデルとしては最終期に生産された1台となる。1972年1月26日に初登録され、黄色い用紙に印字された旧式の車検証によれば、以前の登録番号は「JLB 9K」および「TES 64」などと履歴が詳細な所有歴だったことがわかる。

初代オーナーとなったのは、ロンドンW1在住のマイケル・P・D・セント・J・ニールン。その後1974年にロンドンNW9在住のシドニー・フォアマン、1975年にはヨークシャー州ブラッドフォード在住のジョン・ウェブスターに譲渡された。

そして、今回のオークション出品者でもある現オーナーの調べによれば、このマングスタは自動車ヒストリアンとして知られ、数多くの専門書も上梓しているリチャード・ニコルズによる数冊の出版物・書籍、および英国の男性向けライフスタイル誌「メイフェア」に掲載されたことがあるとのことである。

現在のオーナーは、1996年に「ABW 84K」の登録ナンバーのついたこの個体を入手。その前の所有者はサウサンプトン在住のマイケル・パースリーであり、2万7000ポンドの対価で直接売買された。1990年の時点で記録されていた走行距離は2万2546マイル、2020年時点では2万8773マイル。1997年以降は、ランカシャー州ライザムの「フェルディーズ・ガレージ」にて定期整備や車検、メンテナンスを実施していたとのことである。

また2010年には、排気管と前輪のホイールベアリングの交換で、4600ポンドの請求書が発行されている。フェルディーズ・ガレージからの最終請求書は2020年発行分とある。これらのインボイスを収めた履歴ファイルには、新車時以来のオーナーズマニュアルにオリジナルパンフレット、V5C登録証明書など希少な履歴が含まれている。

今回の出品にあたって、ボナムズ社では20万ポンド~22万ポンド(邦貨換算約4175万円〜4590万円)という、昨今人気の高いマングスタとしてもなかなか強気とも思われるエスティメート(推定落札価格)を設定していた。ところが昨年12月11日、同社がロンドン市内ニュー・ボンドストリートに構える「ボナムズ・ショーケース」で行われた競売では、ビッド(入札)が思いのほか伸びなかったようで、17万6666ポンドまで上がったところで競売人のハンマーが鳴らされることになった。

それでも、現在のレートで日本円に換算すれば約3690万円という落札価格は、以前のこのモデルからすれば大幅な高値。この高い人気をもたらしているのは、生産台数400台あまりという希少価値はもちろんのこと、ジウジアーロによるエキセントリックなスタイリングや、ガルウィングスタイルのエンジンフードなどに代表されるダイナミズムにあることは、おそらく間違いのないところであろう。

日本でマングスタが取引されているかどうかは知るよしもないが、筆者の感覚からするとイタリアの牛馬からするとかなりリーズナブルなハンマープライスだったような気がするのだが、皆さんの感想はいかがだろうか。

 

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