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落札額はオーラと資産価値の表れか!? 王族から元首相へと渡った華麗な遍歴を持つランボルギーニ「ミウラ」に3億3千万円!!

215万ドル(邦貨換算約3億3755万円)で落札されたランボルギーニ「ミウラP400」(C)Courtesy of Broad Arrow

サウジアラビア王子からクウェート元首相に渡った初期型ミウラは希少な白外装に赤内装のタメ息モデル

1960年代後半、スクリーンに登場し世界中のクルマ好きを熱狂させたミッドシップスポーツの金字塔、ランボルギーニ「ミウラ」。2026年3月に開催されたオークションに、サウジアラビアの王子からクウェート元首相へと受け継がれた数奇な運命を持つ初期型「P400」が出品されました。シャシーのみでモーターショーに登場した異端の誕生秘話から、3億円超えとなった驚きのオークション結果を解説します。

1960年終盤銀幕の世界で準主役を2本演じるほど世界を驚かせたミドシップカーのアイコン「ミウラ」!

1969年と1970年に、相次いで2つの印象的な映画が日本で公開された。個人的な見解かもしれないが、ひとつは1969年に公開された「個人教授」(海外では1968年公開)、もうひとつは1970年に公開された「ミニミニ大作戦」(海外では1969年公開)である。

この2つの映画には共通項がある。どちらの作品でも、ランボルギーニ ミウラがとても巧みにフィーチャー(登場)されているという点だ。

詳しくは実際の映画をご覧いただければ筆者の意図がおわかりいただけると思うので、ここでは省く。しかし、1966年に誕生したランボルギーニ初のミッドシップモデルが、世界的な注目を浴びた証といっても過言ではない。

事実、同世代のスーパーカーとして並び称されるフェラーリ「365GTB/4デイトナ」や、マセラティ「ギブリ」がフィーチャーされた映画を筆者は知らない。クルマ自体が準主役級の役どころを演じるという事実は、ミウラがいかに当時の世代におけるクルマのアイコン的存在であったかを物語っている。

1965年ボディを持たない「ベアシャシー」での異例のトリノショーデビューから始まった「ミウラ伝説」

ミウラの誕生は、ほかのモデルと少々違って異質であった。多くの場合、まず初めに披露されるのはそのスタイリングである。しかしスタイリングだけで中身はない。つまりモックアップで形だけを見せるのだ。そのあとにメカニズムを詰め込んで量産前のプロトタイプを展示し、最後に量産型を発表するという順番がほとんどである。

ところがミウラ(この時点ではP400)を最初に見せたのは1965年11月に行われたトリノショーで、ボディを持たないむき出しのベアシャシーであった。ボディはない。軽量化のための大きな穴が左右両サイドのフレームに開けられた、まるでレーシングカーのシャシーのような姿である。エンジンは横置きのV型12気筒だ。そのレイアウトは排気量こそ違うが、当時の1.5リッターのホンダF1を彷彿とさせた。

もっとも、この出展されたベアシャシーはあくまでもプロトタイプであり、量産型とはかなり異なる部分があった。象徴的なのは、フロントに平置きでマウントされたラジエーターだ。量産型では通常の縦置きに改められている。そして量産ミウラ独特のホイールデザインも、この時点ではまだワイヤーホイールが装着されていた。

そして4ヶ月後となる、1966年3月のジュネーブ・モーターショーで、ついに「ランボルギーニ・ミウラ P400」のプロトタイプが姿を現す。今度はいわゆるモックアップというか、ボディ自体はプロトタイプだが、エンジンベイにメカニカルトレーンを搭載していないモデルが展示された。ショーの会期中はカウルを頑なに閉ざしていたという。実はデザインを担当したマルチェロ・ガンディーニ(ベルトーネ所属)が描いたボディがあまりに低くタイトだったため、ショーの前日、リアのエンジンカウルが巨大なV12エンジンに干渉して閉まらないことが発覚した。結局、ショーの期間中はエンジンルームを砂袋で埋めて車高を安定させ、カウルをロックして「中身は見せない」という条件で展示した(書類を詰め込んで車高を落としたという説もある。諸説あり)。

ランボルギーニのアナウンスによれば、この時、すなわちエンジンレスのモデルが登場した1966年のジュネーブショーを公式なデビューとしている。そして実際に量産が開始されたのも、この1966年からである。

サウジアラビア王子が新車オーダーした初期型はファクトリーオプション満載で380馬力の特別チューン!

ミウラは1966年から1973年までの7年間生産され、その期間に2度のマイナーチェンジを経た。つまり3世代のミウラが存在する。1966年から1969年までの第1世代が「P400」と呼ばれるモデル。その後少し期間が重複するが、1968年から1971年まで生産されたのが「P400S」。そして1971年から1973年までが、最終型となる「P400SV」であった。

生産台数には諸説あるが、ランボルギーニ・ミウラ・レジスターによれば、最初のP400が274台、2世代目のP400Sが338台、そしてP400SVは147台である。

P400の名を持つ初期モデルは、4リッターのV12ユニットから350psの出力を得ていた。これがP400Sになると370psに出力が上がり、パワーウインドウが装着されるなどの装備や快適性の向上が図られた。そして最終モデルのP400SVでは、出力は385psに向上し、独特だった「まつげ」がヘッドライト周囲から消えていた。

今回Broad Arrow Auctionsに出品されたミウラは、274台生産された初期型P400の1台だ。シャシーナンバーは「3637」。ランボルギーニ ポロ ストリコのオリジナル文書によると、この個体はサンタアガタ工場で1968年7月19日に完成している。強化シャシーのシリーズIIであり、エクステリアカラーは白、内装色は赤のレザーで仕上げられていた。

ファクトリーオプションとして、大型ホイール、コニ製ショックアブソーバー、オレンジ色のフロントインジケーター、電子アンテナ付きラジオとカセット、シートベルトなどが装備された。未装着ではあったが、ホワイトのサイドミラーも出荷されたようだ。さらに出荷の時点で、エンジンはその出力を380psに引き上げる特別チューンが施されていた。

中東の王族から元首相など華麗なるストーリーを紡ぐミウラこそ、銀幕のスターを超えるオーラと存在感!

エンジン番号「2157」、ベルトーネ社ボディ番号「333」を持つこのクルマは、ファクトリーの出荷記録によると、イギリスの公式代理店であるランボルギーニ・コンセッショネアーズ Ltdへデリバリーされた。

最初のオーナーとなったのは、当時ロンドンに邸宅を構えていたサウジアラビアのイブン・サウード国王の息子、アブドゥル・エラ・ビン・アブドゥルアジーズ・アル・サウード王子であった。

王子が所有していた当時、イギリスでは「020GH」のナンバープレートで登録されていた。その後、1980年代にレバノンのベイルートで家具商を営むカルロス・アユーブの手に渡る。さらに1989年にはウィリアムズ・アユーブ(カルロス・アユーブとは無関係)に売却された。

ウィリアムズ・アユーブは16年間所有したのち、2005年に売却。クルマはレバノンからクウェートへ渡り、クウェートの元首相であるシェイク・ジャベル・アル・ムバラク・アル・ハマド・アル・サバの個人コレクションに加わった。彼の所有期間中に大規模なレストアを受け、ボディはオリジナルのビアンコ・オン・ロッソカラー(白外装✕赤内装)に復元されている。

2024年9月に元首相の逝去によりコレクションから放出され、販売準備のためにアメリカへ移動した。Broad Arrow Auctionsでは、2025年にエスティメート価格150万ドルで出品されたが、なぜか撤回されている。

その後、2026年3月に再度出品され、今度は無事に落札された。落札価格は215万ドル。現在のレートで日本円に換算すれば、約3億3755万円という高額ディールとなった。

一度は出品が撤回されたものの、翌年に大きく価格を跳ね上げて落札された事実だけをみても、ミウラというクルマが持つ圧倒的な人気と美術品にも似た資産価値を見せつけてくれた。1960年代のスクリーンで世界中を魅了したミッドシップのアイコンは、半世紀以上の時を経た現在でも、色褪せるどころかその輝きを増し続けているのだ。中東の王族から元首相へと受け継がれたこの「P400」は、まさに映画の主人公のごとく、波乱万丈で華麗なるストーリーをこれからも紡いでいくに違いない。

※為替レートは1ドル=157円(2026年3月25日時点)で換算

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