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事故を乗り越え再びサブロク世界へ! 希少「スバル 360カスタム」との出会いと未来への継承

スバル 360カスタム:愛情深くクルマを維持し続けるオーナーの佐々木さんと愛車

サブロクミートで発見! 極上の激レア商用バンを次世代へと受け継ぐ

2025年10月13日にモーターランド三河で開催された「サブロクミート」には、全国から360cc時代の旧規格軽自動車が集結しました。今回はそんな会場で出会った激レアな派生車種発見した富士重工業「スバル360」の激レアな派生車種、「スバル360カスタム」を紹介します。半世紀以上前の商用モデルとは思えない極上のコンディションと、歴史を次世代へ受け継ぐオーナーの愛情に迫ります。

モーターランド三河に集結した初代軽自動車規格の元気なサブロク軽とスバル360の顔をした不思議な1台

去る2025年10月13日、愛知県のモーターランド三河ではレースと併催される形でオフミーティング「サブロクミート」が行われ、全国から360cc時代の初代軽自動車規格のクルマたちが元気に集結した。そんな熱気あふれる会場で発見したのが、スバル 360のフロントフェイスを持ちながら、丸みを帯びた通常のノーマルボディを持つモデルとは異なり、リアがワゴン形状になっている不思議な1台だ。

日本のモータリゼーション発展期を支えマイカー時代を切り拓いた「てんとう虫」が40万台販売した奇跡の実績

戦後の日本では安価でコンパクトな車両が必要とされ、軽自動車という規格が策定された。当初は弱小メーカーが何台かの車両をリリースするものの、ヒットには遠く及ばない状態だった。先行して発売された車両で後に名を残しているのは、スズキが1955年にリリースした「スズライト」くらいである。

そんななかで初の大ヒットとなったのが、現在のスバルの前身である富士重工業が1958年に発表した「スバル 360」だ。1955年に当時の通産省が打ち出した「国民車構想」は、時速100km、燃費30km/L、定員4名、25万円以下という厳しい基準に対して、最も理想的な形で応えたのがスバル360だったと言われている。フルモノコックボディを採用し、富士重工業の前身である中島飛行機が得意だった航空機設計のノウハウを注ぎ込み、アルミやFRPなどの最新素材を活用することで約385kgという驚異的な軽さを実現した。空冷エンジンをリアに搭載したリア駆動という合理的な機構とすることで、コンパクトな軽規格に収めつつ大人4人の居住性も確保した。

参考にしたと言われているフォルクスワーゲンのビートルが日本で「カブトムシ」と称されたことから、スバル 360は「てんとう虫」の愛称で呼ばれ、デビュー初年から大ヒットとなる。その後も改良を重ねつつ1970年まで12年間に渡り生産を続け、トータルで40万台近くを生産。文字どおり現在のスバルの土台を築いた名車である。ちなみに諸説あるが、第一号車のオーナーはパナソニック(旧・松下電器)の創業者である松下幸之助だと言われている。

事故でスバル360を失うも2021年にバモスで「サブロク」復帰、商用「スバル 360カスタム」を入手

そんなスバル 360の派生車種として1963年に登場したのが「スバル 360カスタム」である。リアシートがコンパクトに折りたたみ可能で、意外に(失礼!)広いラゲッジルームを持つ商用モデルだ。

ボディ後部には上ヒンジのハッチが備わっている。とくに、ラゲッジスペースを極力フラットにするため、リアの空冷エンジンはただ流用して載せられたわけではない。キャブレターやエアクリーナーの配置を専用設計することで、全高を意図的に下げているのだ。商用車のためにわざわざエンジン補機類を再設計するという、当時のスバルのクルマ造りへの凄まじい執念が垣間見える部分である。こうして、上部の荷室の邪魔をしないよう緻密な工夫が凝らされているのだ。

気になる車両の詳細を聞くために、オーナーの佐々木さんを直撃した。

「このクルマはスバル 360の派生車種であるスバル 360カスタムというバンです。1967年式でつい最近手に入れました。じつは20歳の時にスバル 360を買ってずっと乗っていたんですが、2015年に事故で廃車になってしまって……。しばらくはサブロク軽から離れていたんですが、2021年に今でも所有しているバモスホンダを手に入れて、再びサブロクに乗るようになったらやっぱり楽しくて、最近このクルマを手に入れちゃいました」

前オーナーの丁寧なレストアを引き継ぎ、純正状態を保ちながら次世代へ継承を誓う「スバル360カスタム」

佐々木さんのスバル 360カスタムは、前オーナーが各部のリクロームなどを含めたレストア作業を行っており、内装も真っ赤な生地で張り替えられている。ボディ各部も手に入れた時から非常に状態は良かったそうで、手元に来てからはR2用のミラーに交換されていたものを純正ミラーに戻し、備わっていなかったホイールキャップを装着。以前から所有していたホワイトリボンのバイアスタイヤを装着した程度しか手を加えていないという。いかに、入手時の状態が良かったかがわかるはずだ。

「このクルマはこれまでの歴史も込みで受け継いだので、この状態をキープして乗り続けるのが自分の役目だと思っています。私の下の息子がこのクルマを大好きなので、いずれは彼にこのクルマを引き継いでもらいたいと思っています」

激レアモデルにもかかわらず驚くほど状態の良い車両は、オーナーの深い愛情によって次世代へと受け継がれていく。これぞまさに、生きた“自動車遺産”である。

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