試作段階のプロウラーに乗ることができた
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。今回はわずか1997年に発売されるもわずか5年で生産終了となった個性的すぎるスポーツカー、プリマス 「プロウラー」を振り返ってもらいます。
ほぼコンセプトカーのまま量産化された
今や電動化の流れは止められそうにない自動車業界。21世紀に入り、もう四半世紀が過ぎたが、自動車が誕生したのがそもそも19世紀の終わりだから、まだ150年とは経っていない。しかし、変革とは突如としてやって来るものだとつくづく思う。自分自身が職業として自動車にかかわってそろそろ半世紀、未だに本人は内燃機関の郷愁から抜けきっていない。
時は1993年。30年ほど前の話だが、まだアメリカの自動車業界が元気だったころ、毎年正月に行われるデトロイトショー(NAIASと呼ばれた)に取材に行っていた。
毎年じつに楽しみだった。理由はショーの演出がヨーロッパのそれとは違って、派手で面白かったからだ。その最たるメーカーがクライスラーであった。当時は今とは違う5ブランドがラインアップされ、今はそこからイーグルとプリマスが消え、かわりにモパーとラムがブランドとして加わっている。
その消えたブランドのひとつ、プリマスからこの年、アッと驚くモデルが披露された。もちろん当時はコンセプトカー。そしてまず量産化は無いと思っていたモデル、それが「プロウラー」である。
完全に現代風のホットロッドそのもので、あろうことかサイクルフェンダーを装備したモデルだった。ところがこちらの予想に反し、1996年のデトロイトショーで当時のCEO、ボブ・イートンが、プロウラーの量産化を宣言したのだ。こうしてほぼコンセプトカーのまま量産化されることが決まった。
2台しかない開発途上の段階で試乗に成功!
こうなると当時まだ若かった私のジャーナリスト魂に火がついて、なんとかこれに乗れないものかと画策。まだ実際に動くクルマが2台しかない開発途上の段階で、ラッキーなことにこのクルマを試乗するチャンスを得た。2シーターモデルだから乗れる人数は2人。クルマは2台しかないから合計4人のジャーナリストが、アメリカ、サンディエゴ近郊に集められた。1996年のことである。
集められたジャーナリストは「far from USA」というカテゴリーで、日本、オーストラリア、南アフリカ、それにブラジルだったと記憶するが、アメリカから遠い国のジャーナリストの枠に組み入れられた。南アフリカが遠い国であることは想像がついたが、まさかLAに行くのに日本が一番近い国だとは思わなかった。
2台あったプロウラーは、いずれも試作段階のフェーズ1とフェーズ2のモデル。それぞれが4~5台ずつ作られたというもので、この2台はステアリングのフィールが異なった味付けにされていたほか、進化版のフェーズ2仕様では、助手席の背後に6連装のCDチェンジャーを装備(時代を感じさせる)したり、小型のオイルクーラーを左右マフラーの間に装備したりと、いくつかのディテールが異なっていた。
シャシーとボディはアルミ製!
試乗にあたり注意されたことは、見ようと思って寄ってくる、周囲のクルマとの接触に気を付けてくれというものだった。
最高出力217ps/5850rpm、インパクトのあるパフォーマンスかといえばそれはノーである。おまけにこのエンジンと組み合わされるトランスミッションはATしか用意されない。このあたりはいかにもアメリカ的でこだわりを見せないが、そのATがオートスティックと呼ばれる、ポルシェティプトロニックのような、マニュアルシフトを可能にするATだったことで多少救われている(当時は最新鋭だった)。
それよりも驚かされたことはその作りである。当時350万円程度で販売することを目論んでいる……と聞いて全体の作りはあまり期待していなかったのだが、シャシーはオールアルミ製。フロントサスペンションはインディカーと同じプッシュロッドタイプのダブルウィッシュボーンを採用していた。そしてボディもサイクルフェンダーを除けば他はすべてアルミ製となっていた。
さらにリアブレーキローターがアルミ製。ダッシュボードのフレームはなんとマグネシウム製と来た。パワーユニットこそ、当時LHと呼ばれたコードネームを持つモデル用の3.5L 24バルブV6だが、トランスミッションとディファレンシャルはひとまとめにしてリアに搭載したトランスアクスル方式を採用していたのである。内容的には凝りに凝って作られていながら、驚いたことに既存モデルからの流用パーツが全体の45%を占めることで、コストを圧縮していた。
例を挙げるとリアサスペンションはLHカーからの流用、ステアリングは当時のジープ「グランドチェロキー」用、エクステリアドアハンドルはこれもLHカーの流用、インナードアハンドルはダッジ「バイパー」用を逆さに装着、パワーウインドウスイッチは当時のダッジ「ラムトラック」用、ヒーターACユニットが当時のクライスラー「ネオン」用などである。
乗り味は至って普通だった!?
大いに期待をして試乗はしてみたものの、そこそこの乗り心地と、そこそこのパワー、かなりシャープなハンドリングという印象を得たが、外観の圧倒的存在感からすれば、乗り味は至って普通。バイパーと違ってわずか5年で姿を消した背景は、普通すぎる走りのイメージにあったのかもしれない。とはいえ、狭いエンジンベイにV8を積むのは不可能だし、言わんやV10など望むべくもない。でも、ユニークで貴重な存在だったことは間違いない。その後、生産型にもアメリカで試乗したが、プロトタイプとの大きな違いはなかった。まあ、乗れたこと自体が財産かもしれない。
■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら
