現代でも通用する設計思想の国民車に乗り換えた
旧いアルファ ロメオの魅力に惹かれ、気づけば複数台を乗り継いできた群馬県に住む桐生呂目夫さん。最新モデルでは味わえない造形や音、そして予想外の出会いまで、さまざまな喜びが広がっていきました。ところが、幼い頃にファミリーカーだったスバル「360 ヤングS」を購入します。なぜアルファ ロメオから乗り換えたのか、その理由を伺ってみました。
雑誌で見つけた不動車購入から始まった旧車の趣味
桐生呂目夫さんは、元々は模型作りを1番の趣味にしていた。しかし免許取得後は、ホンダ「シビックSi(3代目ワンダー)」、ホンダ「ビート」、マツダ「RX-7(FC3S)」を乗り継ぐなど、生粋のクルマ好きでもある。
周囲にはクラシックカーを楽しむ友人も多くいた。自身は雑誌の個人売買欄でアルファ ロメオ「デュエット スパイダー」を見つけ、それをきっかけにクラシックカーとアルファ ロメオというふたつの「沼」へどっぷりとハマることとなった。
「友人にクルマを見に行くと話したら、俺もついて行くよと、見学ツアーみたいになってしまいました。ひとりだったら断っていたかもしれませんが、冷やかしのように大人数で押しかけたため、断れない状況となり、不動車のデュエット スパイダーを購入したのが、最初の趣味車です」
初めてのクラシックカー購入は、まさかの不動車であったが、雑誌に掲載されていた価格よりも安く手に入れることができた。すでに旧いクルマを楽しむ仲間たちのコネクションもあったため、1年10カ月かけてデュエット スパイダーを路上復帰させて楽しむようになった。
以降、桐生さんはデュエット・スパイダーから、さらに旧いジュリア スパイダーへと乗り換えるだけでなく、普段乗りのクルマも155、156、159、ジュリアと、アルファ ロメオひと筋にクルマ趣味を楽しんでいる。
「どのモデルもデザインが何より魅力的です。そして排気音の心地よさは他にありませんし、操作したとおりに走れる喜びがあります」
スバル 360ヤングSとの生活で地元群馬ならではの喜びを経験
そうしたなか定年退職を迎えて……
「これからあと何台乗れるだろう?と考えたときに、このままアルファ ロメオ以外のクルマを知らないままでいて、本当に良かったと言えるだろうか?」
そんな時に、60年前の幼少期にファミリーカーだったスバル360の存在を思い出した。懐かしさに加え
「スバル360は日本を代表する名車、現代でもあのクルマの設計思想は通用する」
という言葉を思い出した。その言葉を言ったのは、桐生さんも実行 委員を務める地元イベントで交流のあった自動車評論家 小林彰太郎である。
そして6年前に手に入れたのが1969年式のスバル360 ヤングSである。
スバル360は、我が国のモータリゼーションを担う時代、国民車として歓迎され1958年から1969年(販売は1970年5月まで)まで約39万2000台が生産された。その12年間の歴史には、コンバーチブルやバンといったバリエーションもラインアップされ、桐生さんの所有するヤングSというグレードは、ライトカバーやタコメーターを装着するなどスポーティさを演出したモデルである。
「スバル360で急勾配を登るのは非力なので、結構大変なのですが、そんな 時に私は『頑張れ!もうちょっと頑張れ』なんて声をかけます。そんなところが愛おしく感じますし、開発当時の制限のなかの努力が少しだけ分かる気がする偉大な国民車です。スバル360に乗って、さらにクルマの魅力に気づきました」
駐車していたとある地元の群馬の公園で高齢の方に突然
「ありがとうございます」
と突然お礼を言われ、尋ねたところ当時スバルでパーツ担当をされていた方だったという経験もあると語る。そうした出会いがあったのも地元企業が送り出したクルマだからこそであり、町を走っていると日常的に小さな子どもが笑顔で手を振ってくれることなど、これまでの愛車とはまた違った喜びをスバル360は桐生さんに与えてくれた。半世紀を過ぎても永遠の「国民車」であり続けるスバル360との生活は、これからも続くのである。
