1989年デトロイトショーから始まったアメ車との付き合い
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る経験談を今に伝える連載。1980年代当時、日本では「アメ車=大きい・燃費が悪い・走らない」という固定観念が広がっていましたが、選んだキャデラック「セビル」はそのイメージを覆す1台でした。静かで滑らかな横置きV8、意外な経済性、そして比類なき快適性。ベンツEクラスとも並ぶ価格帯でありながら、あえてセビルを選んだ日々は、今も鮮明な思い出として残っています。
ベンツEクラスではなくセビルを選んだ理由
1989年に初めてデトロイトショーを取材した。とくに感化されたわけではないが、ジャーナリストとして専門的な知識を身につけようと考え、誰も手をつけていなかったアメリカ車のスペシャリストになるべく、最新情報を収集することに専念した。どうせならクルマも、というわけではないが、乗ったことのなかったアメリカ車に乗りたいと思った。
当時、アメリカ車の選択肢は限られていた。欲しいクルマがなかったのだ。GM系はヤナセが導入していたため充実していたが、フォードはマスタングかトーラス。リンカーンやマーキュリーは同じスタイルのフルサイズしかなく、クライスラー系にはアクレイムやイーグルプレミアなどがあったが、ジープは眼中になかった。
GMには当時、ポンティアック「グランダム」という、クワド4と名付けられた最新鋭のDOHC4気筒を搭載したコンパクトなモデルもあったが、正直なところまったく興味を惹かれなかった。本当はアメリカ車らしい、大きなフルサイズが欲しかったが、駐車スペースに余裕がなく、そのなかで最善の選択肢として選んだのがキャデラック・セビルだった。今から35年前の話である。
当時、キャデラック・セビルの新車価格は680万円で、まったく同じ値段でメルセデス・ベンツ300E(初代Eクラス)が購入できた。しかし、資金に余裕があるわけではなかったので、ヤナセにお願いして、試乗車として使われていたクルマを中古車部から特別な価格で譲ってもらった。残っている写真を見ると、1990年7月25日のことだった。
手に入れた当初は、あちこちから色々と揶揄されたものだ。
「ベンツを買っておけば、後で下取りの値段が全然違うぜ……」
などと言われた。これに対し
「俺は下取りが良いからって、クルマを選ぶわけじゃないから……」
と強がってみせたものの、購入した翌年の秋には新しいモデルが投入されることがわかった。2年経って、新車の試乗と称してディーラーに新しいセビルを乗りに行き、ついでに下取り査定をしてもらったところ、新車時680万円だったクルマがわずか190万円にしかならないとわかり、引き続き乗り続けることにした。もっとも、その時は売る気はまったくなかったのだが。
オイルショックで’70年代のアメ車人気が一気に衰退
また、とあるジャーナリストの大先輩からは、
「アメ車買ったんだって? まさかグランダムじゃないよね……」
と言われた。当時、どんなに高くても310万円で買えた最新のDOHCエンジン搭載車を指して、そう言ったのだ。すかさず
「違いますよ! キャデラックです」
と少し自慢げに言ったことを思い出す。
当時、モータージャーナリストでアメリカ車を日常的に使っている人はほぼ皆無だった(コルベットやマスタングはいたかもしれないが)。そのため、筆者のセビルはかなり注目を集めた。
この時代は、アメ車=デカい、大食い、運動性能最悪と悪評が定着していた。しかし、1960年代から1970年代半ばにかけては、日本ではアメリカ車がステータスシンボルであり、多くの芸能人やプロ野球選手がこぞって乗っていたのである。それがオイルショックを経て「一億総省燃費」の時代になると、デカくて燃費の悪いアメ車は見向きもされなくなり、輸入車といえばドイツ車という時代へと突入していく。
しかし、筆者のセビルは、これらのネガティブ要素がほとんどないモデルだった。まず「デカい」については、全長が4800mm台だったため、決して大きくはなく、車幅はそれなりにあったものの、都内で運転してもさほど苦労することはなかった。
驚きの経済性と快適性
次に「大食い」という点も、正直当たらない。当時でもキャデラックはレギュラーガソリンを使用できた。コンパクトカーでさえハイオクが必要だったヨーロッパ車とは対照的だ。高速巡航性も非常に高く、ゆったりと流せば4.5Lエンジンでも13km/Lほどは走ったので、燃費は決して悪くなかった。
最後の「運動性能」については、さすがにお世辞にも良いとは言えないが、当時のアメリカ車がすべていわゆるオールシーズンタイヤを装着しており、その性能が非常に悪かったことも原因のひとつだった。また、ウルトラソフトなサスペンションのせいで、少しのコーナリングでも派手なスキール音を撒き散らした。しかし、快適さで言えば、このクルマは無類に快適だった。今も、あの時代のキャデラック以上にスムースで静かで、NVH性能(騒音・振動・ハーシュネス)が高かったクルマは数えるほどしかないと思う。
横置き4.5L V8エンジンは非常にスムースで静かだった。OHVではあったが、良いエンジンだと感じた。シートのクッションもウルトラソフトで、1960年代のシトロエン「DS」のようだった。これにより、走行中にどんな姿勢をとっても体がシートに馴染み、疲れにくかった。もちろん、サイドサポートなどほとんどないが、体がシートに埋まることで、それなりにサポートしてくれた。そもそも、そんなスピードを出してコーナリングできるサスペンションセッティングとタイヤ性能ではなかったのだ。だからワインディングを飛ばしたい人にはまったく不向きであった。
結局、3年間このクルマに乗っていたと記憶している。今でもこのキャデラックを懐かしく思うのは、嫌いじゃなかった証拠だろう。
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