中学時代からの憧れを実現しブルーバードSSS-Rを2台持ちオーナーの熱きラリー&日産LOVE
2026年2月8日、関東デイラリーシリーズの開幕戦としてJAF公認ラリー「ツール・ド・大山2026」が開催されました。ラリーの魅力を多くの人に伝えるため、スタート&ゴール地点の神奈川県・伊勢原市総合運動公園では、ヒストリックカーの展示企画も行われています。今回は、雪化粧の会場でひときわ存在感を放っていた、日産の特別な競技用ベースモデル「ブルーバード SSS-R」とオーナーの物語を紹介します。
雪化粧のラリーイベント会場で出会った全日本ダットサン会副会長の職に相応しい日産車3台持ち
強烈な寒波の影響で前日から降り始めた雪は、イベント当日の朝には小康状態となっていた。ラリー競技自体は開催されることとなったが、競技車両がスタートする頃にはふたたび雪が強まり、ヒストリックカーの展示エリアも一面の雪化粧となった。
そんな悪天候のなか、快くインタビューに応じてくれたのが日産 ブルーバード SSS-Rのオーナーである湯川 峰(ゆかわたかし)さんだ。じつは湯川さんは、全日本ダットサン会の副会長という肩書きを持つ生粋のカーガイである。
「このラリーの主催者であるチームアッスル(AzuL)のメンバーとは以前からお付き合いがあったのですが、全日本ダットサン会とのコラボという形でラリー競技とヒストリックカーの展示を本格的に同時開催したのは今回が初めてです」
ニスモとオーテックが手掛けたラリー専用車「SSS-R」は日産4WDスポーツモデルの「原点」
会場に展示された湯川さんの日産 ブルーバード SSS-R(U12型)は1988年型で、マイナーチェンジ前の1.8リッターモデルだ。
伝統的にラリー競技に強さを発揮してきたダットサンおよび日産が、久々に気合を入れてラリースペシャルというべき「SSS-R」をデビューさせたのは1987年のことである。アテーサと呼ばれる4輪駆動最適制御システムを初採用した8代目ブルーバードのスポーツグレード、「SSSアテーサリミテッド」をベースとしている。ニスモとオーテックジャパンがラリー参戦を前提に開発したスパルタンなモデルであり、“R”はもちろんラリーの頭文字だ。このモデルはラリー専用車両というだけあり、ロールバーを標準装備、ピストンもコスワース製鍛造ピストンを使用、さらにクロスミッションを装備し、初期型は2シーターのみの設定というスパルタン仕様であった。また外観上でノーマル車と大きく違うのは、大径の2灯フォグランプ(CIBIE製)がフロントバンパーに備え付けられている点となる。
日産 ブルーバード SSS-Rはメーカーの目論見どおり国内ラリーで大きな活躍を見せ、1988年シーズンと1990年の2度にわたり、綾部美津雄選手の手によって全日本チャンピオンに輝いている。
中学時代からの憧れのクルマを入手、どころか後期型SSS-RとS110シルビアを所有する日産ラリー車愛
ラリーの日産が久々に気合を入れて「SSS-R」をデビューさせたとき、湯川さんはまだ中学生だったそうだ。しかし、大径のフォグランプやボディストライプなど、いかにもラリー車両然としたそのたたずまいに大いに魅了されたという。
その頃から日産のクルマへの愛は強かった湯川さんであったが、価格や購入のタイミングが折り合わなかった。免許を取得してからは、トヨタ「AE86」や三菱「ランサーエボリューション」でジムカーナやラリー競技にかかわっていた時期もあったという。
そんな湯川さんが、ついに思い入れのある「SSS-R」を手に入れたのは1997年のことだ。それ以来30年近く、ずっとこの1988年式の1.8リッターモデルを大切に維持されている。さらには「じつはこのクルマのほかに、『SSS-R』の1991年式後期2リッターモデルと、1982年式の『S110シルビア』も所有しています」と語るから、湯川さんの日産ラリーマニアぶりは本物だ。
「パーツには苦労しますが、街乗りの日常使いを中心にまだまだ大切に乗り続けます」
今や希少となった1.8リッターの日産 ブルーバード SSS-Rと湯川さんとの物語は、搭載されているアテーサシステムのように、人とクルマの関係性はこれからもガッチリと続いていくのだろう。
