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職人の手作業で仕立てた初代日産「シルビア」は、ヤマハとの決別から誕生した奇跡のクルマ!

日産 シルビア:少し奥まった丸型4灯式ヘッドライトと真ん中が尖ったフロントバンパーが個性を主張

お蔵入り寸前から市販化へ! 美しいデザインが運命を変えたクーペ

1965年に誕生した初代の日産「シルビア」は、ギリシャ神話の女神の名を冠する美しいスポーツクーペである。当時、サニーが3台買える(初代ダットサンサニーB10型スタンダード:41万円)ほどの高額な価格設定(初代シルビアCSP311型:120万円)や、わずか554台という総生産台数など、その歴史は数々のエピソードに彩られている。当初は市販化の予定がない先行開発車として生まれながら、いかにしてブランドを代表する技術とデザインでのイメージリーダーカーと昇華したのだろうか。流麗なウェッジシェイプボディをまとった名車の、波乱に満ちた誕生の背景をたどる。

自動車ショー直前に展示中止となるも美しいデザインが市販化の道を切り開く

1964年9月に東京晴海の国際貿易センターで第11回東京モーターショーが開催された。ハイウェイ時代が幕を開けようとしていた1964年のショーはスポーツモデルの当たり年だった。ダットサン「フェアレディ」でスポーツカー市場を開拓してきた日産も、「ダットサンクーペ1500」と名付けた流麗なスポーツクーペを参考出品している。これは1965年3月に発表した日産 シルビアの最終プロトタイプだったのだ。

メタリックグリーンに塗られた2人乗りの2ドアクーペに、クルマ好きは魅せられた。デザインを担当したのは日産の造形課の若手デザイナー、木村一男を中心とする少数の社員。だが、デザインコンサルタントとしてドイツ生まれのアメリカ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツが関わり、クレイモデルを製作して検証するなどのアドバイスを行っている。ゲルツは、BMW「507」などを手がけたデザイナーである。

このシルビア、じつは数奇な運命をたどった末に生まれてきた。最初から市販を考えて開発したのではなく、技術やデザイン動向を見極めるための先行開発車として、少数のメンバーが作業を進めていたのである。

木村一男がデザインに関わっていたスポーツカーのうちの1台は、コードネームA550を与えられ、社内ではニッサン2000GTと呼ばれていたリトラクタブル・ヘッドライト採用のスポーツカーだ。もう1台は、後にシルビアを名乗って鮮烈なデビューを飾るウェッジシェイプのスポーツクーペである。

この2台のスポーツカーは、エンジンに関して高度な技術力を持つヤマハ発動機をパートナーに選んで共同で開発が進められた。シルビアは1963年秋に開催される第10回全日本自動車ショーに出品する予定でボディなどを仕上げている。佳境に入ったときにゲルツが加わり、図面から三次元ボディを製作し、より美しく見えるように細部を手直しした。

突貫工事で鈑金作業などを行い、ショーに出品するプロトタイプを完成させ、上層部にお披露目している。だが、川又克二社長が「正式に販売する予定のないクルマはショーに出品しない」と言ったため、開催間際に出展は取りやめになった。不幸にもお蔵入りしてしまうが、上層部はデザインを気に入っていたので正式に市販車プロジェクトに昇格し、開発を続行することになる。

ヤマハとの提携解消を乗り越え殿内製作所の職人がクリスプラインを叩き出す

ところが、その直後に開発計画は暗礁に乗り上げた。日産とヤマハが不仲になり、共同開発の契約を解消したのである。現場は混乱したが、少量生産車の分野において技術レベルの高さを知られている殿内製作所(現トノックス:現在も高い技術力を活かし、パトカーや救急車、各種工作車といった特装車の製造・架装を行う企業)に白羽の矢を立てた。1964年のモーターショーでスポットライトを浴びたのは、この殿内製作所が完成させた最終プロトタイプの1号車だ。彼らはプレス機でおおまかに曲げられた鉄板を、職人がハンマーで叩いてミリ単位の微調整を行った。どうしてもプレスで出せない鋭角なエッジ部分は、溶かした半田を鉄板の上に盛り、それをヤスリで手作業で削ることで、あのシャープなエッジ線を作り出したのだという。

その半年後、車名をシルビアに改め、4月に正式発売された。「SILVIA」の車名は、ギリシャ神話に登場する女神から取ったものである。最大の特徴は宝石のように美しいウェッジシェイプボディだ。日産は「明快な」という意味の「クリスプライン」と名付け、自慢した。

開発段階ではファストバックやリトラクタブルのヘッドライトも考えられたようだ。だが、最終的には丸型4灯式ヘッドライトを備えたノッチバッククーペで登場している。

ボディサイズは驚くほどコンパクトだ。しかもストレート基調のシンプルなラインで形作っているが、気品があり、隙がない。鋭角的なフロントマスクはダイナミックで、横桟のメッキグリルも精緻な造りである。リヤビューもシンプルだが、惚れ惚れするほど美しかった。

ボディはフードやドアなどを除けば、継ぎ目のない一体プレス。もちろん、多くの工程がハンドメイドだ。殿内製作所の熟練した名人が匠の技を使ってボディを叩き、歪みのないように丁寧に仕上げていった。

インテリアはスポーティさとエレガントさが同居している。大型のスピードメーターとタコメーターを中心に、真ん中に時計を、左右には燃料計と水温計を配し、目盛りや文字の書体にもこだわっている。メーターは180km/h表示だ。スポーツカーはブラック内装が一般的な時代だったが、シルビアはアイボリー内装とし、タンブラースイッチを並べたセンターコンソールやコンソールボックスも標準で装備していた。

フェアレディをベースにしつつ高級車ブランドへ格上げされイメージリーダーカーに

メカニズムは、シルビアの型式「CSP311」を見れば推測できる。シルビアがベールを脱いだ2カ月後の5月下旬にフェアレディ1600が登場している。型式はフェアレディ1500のSP310に続く「SP311」。この型式からわかるように、この両車は兄弟関係にあった。頭に付く「C」は、クーペであることを意味している。開発時は快適性を高めたダットサン フェアレディのクーペ版を考えていたのだ。

シルビアは、ショーに出品したときはダットサン・ブランドだった。フェアレディと兄弟関係にあるからだ。だが、発売を前に日産の高級車だけに使われる「ニッサン」ブランドに格上げされている。販売価格は日産「セドリック(最上級車スペシャル6:115万円)」より高い120万円だから当然といえば当然だろう。日産のイメージリーダーカーだった。

この120万円という価格、当時の物価からするとまさに驚愕である。あんぱん1個が15円、ラーメン1杯が60円だった時代だ。大卒の初任給が2万数千円といえば、その浮世離れした金額が想像できるだろう。翌1966年に登場してマイカーブームを巻き起こすサニーやカローラが40万円台前半だったことを考えても、大衆車の実に3倍に相当する。現代の感覚でいえば優に1000万円を超える、限られた人にしか手の届かない超高級スポーツカーだったのである。

フレーム部分は、はしご型と呼ばれるボックス断面X型メンバーのラダーフレームを採用。クロスメンバーで補強し、剛性を高めている。サスペンションは、フロントが後退角のついたダブルウィッシュボーンにコイルスプリングの組み合わせ、リアはリーフスプリングで強化したリジッドアクスルだ。ステアリングギアはフェアレディなどと同じカム&レバー式を受け継いでいる。

ショーに展示したプロトタイプはネーミングのように1.5リッターのG型直列4気筒OHV(オーバーヘッドバルブ)を積んでいた。だが、シルビアはG型エンジンをベースにした新開発のR型4気筒OHVで、ボアを7.2mm広げた87.2mmで、ストロークは逆に7.2mm詰めた66.8mmの超オーバースクエアとしている。総排気量は1595ccだ。このR型エンジンは、フェアレディ1600にも搭載された。

コンロッドを強化するためにビッグエンドに新材料を用いたF77メタルを採用し、インテークマニホールドも吸入抵抗の小さい形状に変更している。燃料供給はSUタイプのキャブレター2連装だ。

圧縮比は9.0で、最高出力は90ps/6000rpm、最大トルクも13.5kg-m/4000rpmを発生する。トランスミッションはポルシェ社が特許を持つボークリングタイプのフルシンクロ4速マニュアル(MT)を組み合わせた。クロスしたギヤレシオを採用し、これに合わせてクラッチも西ドイツのザックス社の技術を導入するとともに、表面積を20%拡大したダイヤフラム・スプリング式に変更している。

造り手の情熱と執念が凝縮されたクルマはわずか554台で幕を閉じ、フェアレディZへと継承

シルビアの最高速度は、時速100マイルを超える165km/h。0-400m加速タイムは17.9秒とクラス最速だった。

高性能スポーツクーペだから制動能力も高めている。フロントブレーキは住友電工製のダンロップ・マークIIディスクブレーキを採用する。ホイールもフェアレディ1500より1インチ大きい14インチへと変更され、タイヤサイズは5.60-14と幅こそ同じだが大径化された。

シルビアは話題にはなったものの車両価格が120万円と驚くほどの高額だった。しかも、贅沢な2シーターのスポーツカーである。だから多くの人にとっては高嶺の花で、間近で見ることさえなかなか叶わなかった。まさにフェアレディという最良のベース車がなければ、発売さえも幻に終わっていたスポーツカーなのである。

だが、シルビアが走っているところを見られる場所があった。1965年12月に全線開通した東京都と神奈川県を結ぶ第三京浜道路(玉川〜保土ヶ谷)だ。日本初となる片側3車線の自動車専用道路で、最高速度は80km/hである。神奈川県警の交通機動隊は、この道路に2台のシルビアを配備し、取り締まりにあたったのだ。

日産「サニー(1000cc)」が3台買えるほど高価だったため、シルビアを購入できる人はひと握りしかいなかった。そのため1968年に生産は打ち切られ、これ以降は在庫の販売になる。その間の生産台数は、わずか554台だ。

マツダ「コスモスポーツ」やいすゞ「117クーペ」よりも少ない。だが、初代シルビアは日産のデザインレベルを大きく引き上げ、ブランドのイメージアップに多大な貢献を果たした。利益度外視ともいえる職人の手作業によって生み出された美しいクリスプラインとスポーツカー造りのノウハウは、次の日産「フェアレディZ(S30型)」へと色濃く引き継がれていく。効率と合理性が最優先される現代において、これほどまでに造り手の情熱と執念が凝縮されたクルマが生まれることは二度とないだろう。だからこそ、この孤高のクーペはいつの時代も愛好家の心を強く惹きつけてやまないのである。

【日産 シルビア(CSP311型)】

年式:1965年式
全長×全幅×全高:3985×1510×1275mm
ホイールベース:2280mm
車両重量:980kg
エンジン:R型直列4気筒OHV
総排気量:1595cc
最高出力:90ps/6000rpm
最大トルク:13.5kg-m/4000rpm
トランスミッション:4速MT
サスペンション(F/R):ダブルウィッシュボーン/リーフスプリング
ブレーキ(F/R):ディスク/リーディングトレーリング
タイヤ:5.60-14-4PR

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