クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。

著者一覧 >

エンジンから先に購入! ダルマ「セリカ」にスペシャルなトヨタ・ツインカム「152E」を搭載…ミッションは「アルテッツァ」の6MTです

今回が初の開催となったイベント「SWAP&MEET in 妙高」で、ビス留めのオーバーフェンダーが装着された「ダルマ」の愛称でお馴染みのトヨタ「セリカ」を発見。オーナーの吉川一男さんにお聞きすると、希少な152E型エンジンを搭載したスペシャル仕様のセリカでした。

戦前のアメ車のためにガレージもつくった! シボレー「フリートライン」のオーナーが探していたのは「インパラ」だったのに、なぜ…

太平洋戦争が始まった年にデビューしたシボレー「フリートライン」。戦争によって民間向けの乗用車の開発がストップした影響によって、戦後車ながら戦前モデルの再生産車というのが、小林さんが所有する1947年式です。ルート66などアメリカ文化やアメ車に憧れを抱くオーナーのアメ車愛を深堀りします。

解体寸前のトヨタ「トヨエース」を救出! DIYで整備して機関好調…外装はオリジナルを維持したラットスタイル!? 唯一悔やまれることとは

1950年代の日本で、商用車として活躍していたオート三輪から小型トラックの主役の座を奪ったのがトヨタ「トヨエース」でした。かつては街中にあふれていたトヨエースも、時代の流れとともに残存数が激減し、今では非常に貴重な存在となっています。そんなトヨエースをお店で見つけ、自らの手で整備してレスキューしたという山崎さんに愛車を紹介してもらいました。

本当のエイジングボディのスズキ「フロンテ360」は85キロ巡航だってできる! サビだらけ…30年近く不動車だったままの姿を維持する理由とは

ピカピカに磨き上げられたヒストリックカーとは一線を画する見た目のスズキ「フロンテ360」を発見しました。知人のもとで不動車と化していたこのクルマを、手に余るということで託されたのがオーナーの町田さんです。お世辞にもコンクール・コンディションとは言い難いこのフロンテ。なにか理由があるのでしょうか?

不動の日産「ダットサン1000」を修理して50数年! 初めてのマイカーが一生モノの付き合いとなりました

オースチン由来のエンジンを搭載し、ダットサンの名を世界に認知させるきっかけともなったクルマが210型の日産「ダットサン1000」です。そんなダットサン1000を50数年前に入手してレストアも行い、こつこつと維持してきたのがオーナーの鹿野谷さん。ベテランオーナーの初めてのマイカーだったという愛車とのストーリーを伺いました。

息子はTVR「タスカン」父はロータス「エラン」乗り…少年時代にゲームで知った憧れのクルマを手に入れて、親子で英国製スポーツカーを楽しんでます!

1947年に創業した英国の自動車メーカーのTVR。アクの強いデザインが特徴的なメーカーで、個性的なスタイルがファンから支持されてきました。そのTVRの「タスカン」を会場で発見。奇抜なスタイルはひときわ目を引くため、来場者も足を止めて興味津々の様子でした。真っ赤なタスカンのオーナーに愛車を紹介してもらいました。

彼女の三菱「ミニカF4」は祖父から二十歳の誕生祝に名義変更…車庫で眠っていた50年以上前のレア車を路上復帰しました

360cc時代の軽自動車のなかでも、見かけることが少ないレアな存在となっているのが三菱の軽自動車。そんな三菱「ミニカF4」の1972年式で、しかも珍しいスーパーデラックスというグレードを所有していたのは、女性オーナーの“らん”さん。若きオーナーが、当時物のナンバーを取り付けたこのクルマに乗ることになった経緯について伺ってみました。

光岡自動車が100台だけ販売した「K-3」とは? 1人乗り原付カーを自分で組み立てる「キットカー」でした【マイクロカー図鑑】

イギリスならではのクルマ趣味文化のひとつに「キットカー」というジャンルがありますが、もちろん彼の国だけの専売特許ではありません。日本でも、小さなクルマでおなじみの光岡自動車がキットカーを販売していたのです。わずか100台のみ販売された原付カー「K-3」を紹介します。
share:

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS