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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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911よりも安くて庶民でも買えた! ボクスターのご先祖「ポルシェ914」とは

1969年にデビューしたポルシェ914。911の廉価グレードだった、912の後継モデルとして、ポルシェとフォルクスワーゲンが共同で製造・販売していた。ミッドシップ+タルガトップという組み合わせで、価格も比較的高価ではなかったことから一般庶民でも買うことができた。

ご先祖さまは工場の荷物運搬車だった! 愛され続けて70年のワーゲンバスの歴史

VWが「ワーゲンバス」のDNAをもつ新たなEVワンボックスカー「ID. Buzz」を発表。しかし、ネット上では「これはワーゲンバスじゃない!」と否定的な声も上がっている。そこで今回は、70年以上の歴史をもつワーゲンバスの系譜を振り返ってみることにしよう。

「乗り心地悪し」の酷評は「公道を走るF1」なんだから当然! フェラーリF50誕生の真実

1995年にフェラーリ創立50周年を記念したモデル「F50」がデビューした。開発コンセプトは「公道を走るF1」だったが、途中からエアコンが装着されたり、屋根が開いたり……とブレたものになった。また、エンジンがフレームに直付けだったため、振動もすごかったという。

F1ドライバーをして「雨の日には乗りたくない」と言わしめる過激さ! フェラーリF40はいかにして生まれたのか

1987年、フェラーリは創業40周年を迎え、記念したモデルがF40だった。創立者のエンツォ・フェラーリは、レーシングカーとロードゴーイングカーの“境界線前後”のスポーツカーを多くリリースしてきた。自身が最後に見送ったのも、まさにそのままレースに出られる市販車”だった。

庶民でもギリ手が出せる「ガチ」のスーパーカー! ロータス・エスプリとは

映画007シリーズに登場するボンドカーと言えばアストンマーティンDB5が有名ですが、同じ英国製のロータス・エスプリも2度登場。今回は21世紀まで生産が続けられ、現在でも購入できる「大穴」スーパーカーとされているロータス・エスプリを振り返ります。

なんと驚きの50億円オーバー! わずか39台しか生産されなかったフェラーリ250GTO

フェラーリは1962年から始まるスポーツカー選手権に出場するためにフェラーリ250GTOを開発。スポーツカーのお手本と呼ばれるロングノーズ・ショートデッキスタイルを採用し、数多くのレースで勝利を飾っている。ここでは、同社の魅力をあらためて振り返る。

ガンディーニ初のマセラティ車! 美しすぎるGTカー「カムシン」とは

1973年から1982年まで生産されていたマセラティ・カムシン。ギブリの後継モデルにあたり、デザインはベルトーネ時代のガンディーによるもの。エンジンはV8をミッドシップマウントし、2+2の4人乗りだった。ここでは同車の魅力をあらためて振り返っていこう。

マセラティ初のミッドシップ「ボーラ」はシトロエンからの提案で誕生したスーパーカーだった

1971年にデビューしたマセラティ・ボーラ。同社初の2シーターミドシップを採用している。ボディはジウジアーロが担当し、エンジンは4.7LのV8 DOHCだった。ブレーキの油圧システムはシトロエンから提供されており、合作モデルだったことも有名だ。
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