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子どもたちに自動車を学んでもらうために誕生! 初代Zのデザイナーが手掛けたと言われる ダットサン・ベビイとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/日産/Auto Messe Web編集部

日産はクルマだけではなく専用走行コースの監修や交通教育の教材提供をしていた

 子どもが自分で運転できる乗り物としては、遊園地などにある遊戯用カートがあります。ただしあくまでも子どもの遊戯用ですが、なかには“本格的な”クルマもありました。今回紹介するダットサン・ベビイはその好例。かつて日産が子どもたちに本物の自動車交通教育を提供するために開発したベビイを紹介します。

こどもの国開園に合わせて日産が開発して同園に寄贈

 神奈川県の横浜市青葉区と東京都町田市に跨って広がるこどもの国は、かつては旧日本軍で最大規模の弾薬製造貯蔵施設でしたが、第二次大戦の敗戦によって米軍に接収され田奈弾薬庫とされていました。のちに返還されると、1959年、当時は皇太子殿下だった上皇陛下と美智子妃殿下(現 皇太后)のご成婚記念として施設跡地を整備し、こどもの国として1965年の開園にこぎつけています。

 この開園に合わせて、日産は子どもたちに本物の自動車交通教育を提供することを目的に開発した、遊戯用カートにも分類されるクルマ、ダットサン・ベビイを寄贈していました。このダットサン・ベビイは、発電機などの汎用エンジンを使用している、いわゆるゴーカートの範疇を大きく飛び越えていました。

 それもそのはず、ダットサン・ベビイは1962年に日産と技術提携し、やがて傘下に収まることになった愛知機械工業が発売していた超小型車のコニー・グッピーの余剰パーツを使って開発された“小さな自動車”だったのです。ダットサン・ベビイの紹介に入る前に、まずは愛知機械工業の来し方と、コニー・グッピーの開発経緯、そしてその社会背景といった辺りから、話を進めていきましょう。

 愛知機械工業は、戦時中は航空機を製造していた愛知航空機が前身で、敗戦後は民需に転換してオート3輪のヂャイアントや、軽商用車のコニーなどを生産していた自動車メーカーでした。ヂャイアントは水冷エンジンや丸ハンドル、全天候型キャビンをいち早く採用するなど高い技術レベルが大きな特徴でした。

 コニー360は、その名の通り空冷4サイクル水平対向2気筒のプッシュロッド354㏄エンジンを搭載した軽商用車(2ドアバン&2ドアピックアップトラック)でした。最近のキャブオーバーバン&トラックのようにエンジンをフロア下(ホイールベースのほぼ中央でミッドシップと記述する例も)に搭載した、ライバルとはひと味違ったパッケージングを採用していました。

 そんなコニー360とは、さらにまたひと味違うモデルがコニー・グッピーです。軽自動車は数々の特典を与えられている代わりに、ボディサイズやエンジン排気量が制限されています。サイズに関しては1976年に改正されて3200mm×1400mmに拡大されるまで、1950年から四半世紀にわたって全長3000mm×全幅1300mmという制限が課せられていました。

 またエンジン排気量に関しても1951年から1976年まで360cc(1955年まで4ストロークは360ccで2ストロークは240cc)に制限されていました。ですから軽自動車と言えば長い期間にわたって全長3m、全幅1.3m、排気量は360ccというのが定説になっていたのですが、1961年に登場したコニー・グッピーは全長×全幅×全高が2465mm×1260mm×1290mm、ホイールベースも1670mmと軽自動車規格よりも50cm以上も短く仕上げられていました。

 これはふたり乗りのピックアップと割り切ったことで誕生したスケール感でした。車両重量もわずか290kgと超軽量なライトウェイトカーでした。

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