クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

著者一覧 >

日本でも意外と走っているロシア版ジムニー! 「ラーダ・ニーヴァ」が「生きた化石」と呼ばれるワケ

おそらく日本国内でも多く存在するロシア車が「ラーダ・ニーヴァ」。いま流行りのSUVで、ヤワなクロスオーバーと勘違いするかもしれませんが、シベリアで鍛えられたオフロード性能は半端ない。今回はロシア版ジムニーとも言うべきラーダ・ニーヴァを紹介します。
高橋国光さんの監督時代のイメージ

高橋国光さんが82歳で逝去 日本レース界のレジェンドがまたひとり逝く

日本のモータースポーツ界で長年戦い続けてきた、レジェンドのひとりである高橋国光さんが、3月16日に逝去された。82歳だった。2輪からキャリアをスタートし、4輪に転向後は日産やホンダなどのマシンを駆り、数々の名勝負を繰り広げてきた。

ホンダ・コニリオって何もの? 激レアな「エスハチ」ベースのレーシングマシンの全容

ホンダS800をベースにレーシング・クォータリーが製作したコニリオ。が製作した「コニリオ」。レーシングモデルの他にロードバージョンも用意され合計で10台ほど製作された。レースでは、1968年の富士チャンピオンレースで優勝を飾っている。あらためて同社の魅力に迫っていこう。

ポルシェにとって特別な「930ターボ」! 初のターボ搭載車は大排気量NAに挑んだ挑戦者だった

1975年にデビューしたポルシェ911ターボ(930)。ポルシェのロードゴーイングモデルとしては初のターボエンジンを搭載している。日本ではスーパーカーブームということもあり、馴染みのある1台だ。ここでは同車の魅力をあらためて振り返ってみたいと思う。

今も新車で買える! 21世紀に完全刷新したオトナの三輪車を100年以上も作り続ける「モーガン」とは

英国のモーガン社が新型3ホイーラー「スーパー3」を発表。メカニズムを現代的に一新しつつも、現代では圧倒的な少数派となった3ホイーラーを継承している。今回は、新型スーパー3を紹介しつつ、イギリスで今も生き永らえている3ホイーラーの歴史を振り返る。

デイトナの愛称は本名より有名! 当然億超えの「フェラーリ365GTB/4」とは

1968年から1973年まで製造されたフェラーリ365GTB/4デイトナ。デイトナの名称は、1967年のデイトナ24時間レースでフェラーリ330シリーズが1−2−3フィニッシュをしたことが由来となる。ここでは、あらためて「デイトナ」について振り返る。

星野と中嶋が対決! F1マシンも走る! 鈴鹿サーキットオープン60周年記念のファン感が胸熱すぎた

3月5日〜6日、鈴鹿サーキットでオープンから60周年を記念し「鈴鹿サーキット60周年ファン感謝デー」が開催された。従来どおりの、ヒストリック系マシンのデモ走行や2輪の走行プログラムも行われたほか、新コンテンツを盛り込まれていた。当日のダイジェストレポートをお届けする。

バカッ速だけど真っ直ぐ走らせるのが困難! 衝撃の気むずかし屋スーパーカー「ランチア・ストラトス」とは

1974年にデビューしたランチア・ストラトス。祖となったのは、ベルトーネが1970年のトリノ・ショーに出展したコンセプトカー、ストラトスHFゼロだった。ランチアでラリーのワークスチームを率いていたチェザーレ・フィオリオが目をつけWRC参戦にこぎつけた。
share:

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

ranking

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS