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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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910ブルーバードのイメージカット

広告にジュリー! 日産初の4気筒ターボ! やっぱりブルーバードは花形だったと感じる910型に感動

日産を代表するモデルとして人気の高いセダンがブルーバード。最後はシルフィに名を変えてしまい、その歴史に幕を下ろした。長い歴史のなかで、どれも個性的ではあったが、今回注目したいのは910型。最後のFRであり、4気筒ターボも設定された走りのいいモデルだったのだ。
初代セルシオのイメージカット

なにもかもが規格外! その完成度で世界を震撼させた「初代セルシオ」とは

高級車といえば、最先端の技術や快適装備を満載して登場する。そのなかでも1989年に登場したトヨタ・セルシオは、大きな話題となった。これまでのトヨタとは異なるほどの開発体制で誕生し、日本のみならず海外の有名ブランドも注目した。初代セルシオについて振り返る。

「タフト」「ハスラー」「クロスロード」の過去の姿は全然違う! 昔を知る人には驚きしかない「復活車名」9台

平成や令和の時代に聞くと新しく、昭和の時代に聞くと「懐かしい」と思える車名が復活したモデルがここ数年販売されている。トヨタ・スープラを始め、スズキ・ハスラーやダイハツ・タフトといったモデルもかつて販売されていた名前が復刻している。そんな懐かしの車名を持つクルマを振り返る。

スイフト前夜のスズキの人気普通車! 「オレ・タチ、カルタス。」のキャッチコピーを覚えているか?

初代スズキ・カルタスは1983年登場。非常にアクの「弱い」、普通の大人しい3ドアハッチバックに見えたが、整備重量63kgの3気筒1Lエンジン、半楕円リーフスプリングのリヤサスなど、いかにもスズキらしい合理的な設計で、最低価格は63.5万円だった。

あまりに流行って「とりあえず付けとけ」感も! スポーツカー以外の「リトラクタブルヘッドライト」採用車

国産車のリトラクタブルヘッドライト採用は、トヨタ2000GTに始まりFD型マツダRX−7で終わる。おもにスポーツカーに装備されてきたが、じつはファミリーカーのセダンやハッチバックにも取り入れられていた例もある。ここではリトラを採用した意外なクルマを紹介する。

セリカ・カムリ! サニーベースのローレル! 名前に違和感アリアリの派生車たち

セダンが元気だった頃の日本には派生モデルが多く存在した。例えばセリカ4ドア・カムリは、セリカの4ドアモデルとして登場。日産のローレルスピリットはサニーをベースに高級志向に仕立てられたクルマだった。ここでは、懐かしのセダンにあった派生モデルを紹介していこう。

クルマの屋根が革って何事? 若者には衝撃的すぎる昭和の「レザートップ」採用車たち

1960年代後半から1970年代の終盤まで、屋根の一部にレザー(革)を使った「レザートップ」というのが流行った。コンパクトカーから高級車まで幅広い車種に設定されていたのだ。もともとはアメリカ車に採用されていたものだったが、日本でも一時期ブームとなった。

初代デミオの開発者が語った裏テーマはなんと「素うどん」! マツダの危機を救った「小さな英雄」の知られざる姿

初代デミオが市場投入されたのは1996年8月のことで、経緯でいうとマツダは「5チャンネル化」がうまくいったとはいえず(サラッと書けば)何かと大変な時期だった。そのなかでこの小さなデミオは大ヒット作となり、マツダの業績回復にも貢献したのだった。
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