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昭和の若者が憧れた「2トーンカラー」 クルマのキャラクターを印象づけたボディ色を振り返る

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TEXT: 大内明彦  PHOTO: 日産、トヨタ、いすゞ、Auto Messe Web

昭和30年代に登場していた”塗り分け”

 最近よく目にするようになったツートーンのボディカラー。2つの色を塗り分けることで、精悍なイメージを強調したり、またはキュートな雰囲気を漂わせることができ、視覚的に与える効果は大きい。なにより、見る側に新鮮な印象を与え、目を楽しませてくれるのがうれしい。

 このツートーンカラーだが、新しいようで実は歴史の長い塗装手法である。日本車での発端を振り返れば、日本のモータリーゼーション成長期にあたる昭和30年代(1955〜1964年)までに遡る。すでに日産フェアレディ(S210系)やブルーバード(310系)、いすゞヒルマンミンクス(PH100系)などで採用され、淡いカラーを使い分けることで上質な印象を作り出していた。

 その後しばらくツートーンカラーは鳴りを潜めたが、排出ガス対策が終了した昭和50年(1975年)代中盤に復活。排ガス対策期は性能が抑えられ、車両外観も地味な傾向があっただけに、性能や外装の制約が解き放たれた1970年代終盤当時の若者たちは、ニューモデルが発表されたびにワクワクした期待感を抱いていたのである。

 こうした時代にブラック/シルバーの2色を使い分け、高級かつ精悍なイメージを演出したS130系フェアレディZ(1978年)の「マンハッタンカラー」は衝撃的で、先鋭的なスポーツカーのフォルムと引き締まった重厚感がうまくマッチしていた。

 逆に明るい色を使い上質感を演出したのが2代目20系ソアラ(1986年)。上級高性能GTカーとしてセンセーショナルなデビューを果たしたソアラの存在感を定着させるのに大きく役立った。淡いソリッドカラーとゴールドの調和で上質なステイタス感を印象付けることに成功。いかにもトヨタらしく、その後この配色を当時人気上昇中だった71系マークIIシリーズにも応用された。

 一方、同じトヨタ車ながら黒と白/赤といった色の対比効果を用いるとスポーツイメージが鮮明になると考えられたモデルがAE86型レビン/トレノ(1983年)だ。イニシャルDでも使われた「白黒パンダ」という表現がまさにこれで、ハチロク(AE86型)のイメージカラーにもなった。

 同じ意味では、日産が性能競争ブームのまっただ中に最終型のターボCでは「史上最強のスカイライン」のキャッチコピーを使用したDR30系RSターボ(1983年)は、赤/黒ツートーンが非常にレーシーな印象を放っていた。

 火を噴く怪物マシン、グループ5のスカイラインシルエットで先行採用し、RSターボの新車発表を世の中に印象付ける演出も行なわれたのである。

 ほかにも、いすゞピアッツァ(1981年)がガンメタ/黒の重厚な配色でスポーツ性を際立たせる見せ方を行なった。

 このようにツートーンカラーは、2色を巧みに組み合わせることで、車両イメージを自在に演出できる効果があり、ボディフォルムと同様、デザインを決める上での重要な要素として働いてきた。そのような視点で、街中を走る車両を眺め直してみると、デザイナーがどんな意図でツートーンを採用したのか、その意味が伝わってくるだろう。

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