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「保守的」な日本車がここまでやった! 日産の「パイクカー」5台はやっぱり伝説の名車

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TEXT: 大内明彦  PHOTO: Auto Messe Web編集部、NISSAN

3)フィガロ(1991−1992)

 そしてマーチベースのパイクカー第3弾として登場したのが、1989年の東京モーターショーに出品された「フィガロ」だった。Be-1、パオが自然吸気エンジンだったことに対し、このフィガロでは76psのターボ仕様、MA10ET型エンジンを搭載。50年代のレトロチックなスポーツカーを彷彿とさせるオープンカーとして企画されたが、動力性能にも留意されていた。

 人気が殺到したパオの前例もあり、フィガロでは2万台の限定販売策がとられたが、3回に分けて行なわれた予約抽選会では、合計21万件を超す応募者を集め、相変わらず超絶人気ぶりを見せていた。

4)エスカルゴ(1989−1990)

 一方、Be-1の発表以来、パイクカー路線の市場に手応えをつかんでいた日産は、個人商店などのデリバリーバンとして使われることを意図した「エスカルゴ」を1989年に発表。日産「エスカルゴ」の東京モーターショー展示風景

 マーチベース車より一回り大きな車体サイズを持ち、「パリのお花屋さん」といった雰囲気を醸し出す車両で、パルサーバンをベースに1989年1月から1990年12月まで2年間の限定生産で約8000台が販売された。日産「エスカルゴ」のフロントビュー

 今振り返ると、内装、装備の質感を商業車の延長線ではなく、もう少し乗用車方向で上げておけば、さらに需要は見込まれたと思わせたが、少なくとも、デザイン視点で言えば、ルノーカングーをしのぐ感性のクルマで、存在そのものが見る人をなごませる魅力を持っていた。日産「エスカルゴ」の東京モーターショー展示時インパネ

5)ラシーン(1994−2000)

 そして日産パイクカー路線の第五弾が、サニー4WDをベースにしたクロカン風のデザインを持つ「ラシーン」だった。このモデルは限定発売ではなく、1994年から2000年まで、日産のカタログモデルとして企画されていた。エンジンバリエーションが3タイプあり、1.5リッターGA15DE型の105ps、1.8リッターSR18DE型の125ps、2リッターSR20DE型の145psと動力性能にも気配りはおよんでいた。日産「ラシーン」のフロントビュー

 世の中がミニバンに移行する真っ最中の時期で、かつてのようにパイクカーが圧倒的な注目を集める状況ではなかったにもかかわらず、車両自体のできはよく、6年間で7万台強を販売。一時期、ドラえもんをCMキャクターに採用したこともあり、自由な行動の可能性を印象づける「新・ボクたちのどこでもドア」をキャッチコピーに使用。このクルマを所有することによる、夢のある日常の行動パターンをPRしていた。日産「ラシーン」のリアビュー

ただし「パイクカー」は日産だけのものにあらず!

 日産はパイクカーの仕掛け人そのもので、Be-1からラシーンまで、およそ15年の間に5モデルをリリースしたが、このパイクカー路線に乗り出したのは、日産だけではなく、意外にもトヨタもシリーズを立ち上げて臨んでいた。機会を改め、今度はこちらについて紹介してみたいと思う。

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