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これがホントにトラックメーカーのクルマ? 「日野」の乗用車があまりにオシャレすぎる!

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

フランス流、イタリア流との融合を活かして

 このコンテッサ900の4ドアセダンをベースにした2ドアクーペをイタリアで生産してヨーロッパで販売するプランがあり、試作されたモデルが「コンテッサ900スプリント」です。コンテッサ900スプリント

 コンテッサ900をイタリアに送り、ミケロッティがデザインとコーチワークを担当し、ナルディがエンジンの吸排気系をチューニング。試作車は完成して62年のトリノ・ショーでデビュー、翌63年の東京モーターショーで本邦初公開となりましたが、結果的に販売されることはありませんでした。

 ただし、その2ドアボディは今見ても、モダンでスタイリッシュなデザインで、今から60年近くも前に、こんなにカッコいいデザインのクルマが存在したこと自体が驚きです。コンテッサ900スプリントのリアビュー

 そしてそのデザインは、コンテッサ900の上級モデルとして64年9月に登場した「コンテッサ1300」に活かされます。コンテッサ1300

 翌65年の4月に追加設定された「コンテッサ1300クーペ」にもまた活かされ、日野の乗用車はお洒落なスタイリングで注目を浴びることになりました。コンテッサ1300クーペ

 さらにこの1300クーペとは別に、コンテッサ1300スプリントのネーミングで900スプリントの発展モデルも試作され内外のモーターショーに出展されていましたが、こちらもスプリント900と同様に、生産販売されることなく、お蔵入りしています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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