デビューせずに終わった幻の「デルタS4」後継車! 「ランチアECV」の驚くべき中身とは (1/2ページ)

デビューせずに終わった幻の「デルタS4」後継車! 「ランチアECV」の驚くべき中身とは

ミッドシップのさらなる高みを目指したランチア

 4WDの先駆者となった「クワトロ」で80年代序盤の世界ラリー選手権(WRC)を席巻していたアウディが、2輪駆動ながらミッドエンジンによるハンドリングのアドバンテージを武器にした「ランチア・ラリー037」に敗れてミッドシップ4WDの開発に踏み切ったように。またはアフリカ・ラウンドで無類の強さを見せ、FRの究極を極めたトヨタがミッドシップ4WDに手を染めたように。グループBをベースに、より先鋭化した「グループS構想」が打ち出されるようになると、多くのメーカーがミッドシップ4WDをトライすることになりました。ランチアもまたその究極マシンをしたためていたのです。

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4WDにミッドシップの公道最速ウエポン

 その先駆けとなったのは84年のツール・ド・コルスでデビューを果たした「プジョー205T16」でした。彼らは85年から86年にかけてWRCを制覇することになるのです。

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プジョー205T16画像はこちら

 ですが、これに最後まで抵抗を見せていたランチアも、熟成されてきた4WD勢の前では苦戦を強いられるようになり、ミッドシップエンジンのランチア・デルタS4を投入することになりました。ランチア・ラリー037画像はこちら

 そもそもランチアはF1GPやスポーツカーレースなど様々なモータースポーツで活動してきたメーカーです。特にラリーにおいては、WRCがスタートする以前からランチア・フルヴィアHFが猛威を振るい、WRCが始まって以降もフルヴィアHFに加えてストラトスやベータ・クーペがトップコンテンダーとして活躍を続けてきました。フルヴィアHF画像はこちら

 そんなランチアがグループBに向けて開発したラリーカーが「ラリー037」。当時ランチアには4WDに関するノウハウが十分には蓄積されていなくて、ミッドシップ4WDを開発するまでの“つなぎ”とは言うものの、シャシーをダラーラが、エンジンをアバルトがそれぞれ開発した、言わばオール・イタリアの渾身の1台でした。ランチアの全力を注いだ高性能モンスターラリーマシンECV画像はこちら 実際、82年のツール・ド・コルスで4位デビューを果たしたラリー037は、絶対的エースのマルク・アレンにディフェンディングチャンピオンのワルター・ロールが加わった“ツートップ”体制で臨んだ83年には10戦中5勝を挙げてマニュファクチャラータイトルを獲得。翌84年はさらに4WDを熟成発展させたアウディと最後までタイトル争いを続けた結果、マニュファクチャラーでシリーズ2位につけていました。ランチアの全力を注いだ高性能モンスターラリーマシンECV画像はこちら

 しかし流石に、2輪駆動ではもうこの辺りが限界でした。そして85年シーズンの最終戦では後継のデルタS4にバトンを渡すことになりました。ランチアにとっては初の4WDを盛り込んだラリーカーであり、プジョー205T16やMGメトロ6R4に次ぐ3台目のミッドシップ4WDでした。アレンと期待の若手、ヘンリ・トイボネンに託されたデルタS4は、トイボネン~アレンのオーダーで1-2フィニッシュと、最高のデビューを果たしています。ちなみにこれはトイボネンにとってはWRCにおける2勝目であり、ランチアに移籍後初の勝利でした。ランチア・デルタS4画像はこちら

 最高のスタートを切ったデルタS4でしたが、ターボチャージャーとスーパーチャージャーを併せ持つエンジンは456馬力(当初の公称出力。最終的には600馬力とも伝えられている)を捻り出すのに対して車両重量は僅かに890㎏で、圧倒的なパフォーマンスを発揮する一方で、ピーキーなハンドリング特性が『乗り手を選ぶクルマ』としていたようです。ランチアの全力を注いだ高性能モンスターラリーマシンECV画像はこちら

 そして実際、1986年のシリーズ第5戦のツール・ド・コルスではトップを快走していたトイボネンがコースアウトしクラッシュ、ナビのセルジオ・クレストとともに帰らぬ人となってしまいました。そしてこの事故によりグループBはWRCの表舞台を去ることになり、同時に、グループBを引き継ぐべく固められていた車両規則、より先鋭化したグループSの構想も吹っ飛ぶことになってしまいました。

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