勝つことを義務付けられたチャンピオン後継モデル
1953年から始まった世界スポーツカー選手権(World Sports car Championship)は、1962年から国際マニュファクチャラーズ選手権(Internatio nal Manufacturers Championship)に移行。主役がスポーツカーからGTカーに交代しました。
同時に 排気量によって3つのディビジョン(1000cc以下、2000cc以下、2001cc 以上)が設けられ、それぞれに選手権タイトルが掛けられることに。1000cc以下のディビジョン(以下:Div)1ではアバルトが席捲し、750ccクラスと850ccクラスも含めて完全制覇。2000cc以 下のDiv.2にもアバルト・シムカ1300が参戦し、1964~1965年には1300cc以下のクラスで連覇 を果たしています。
1965年にはディビジョンの排気量区分が変更されDiv.1は1300cc以下と されていますが、初代チャンピオンとなったアバルト・シムカ1300の後継モデルとして、1966年 にデビューしたモデルがフィアット・アバルトOT1300でした。
アバルト・シムカ130 0が、シムカ1000のシャーシ(フロアパン&サスペンション)やミッションを流用していました。それに対 してフィアット・アバルトOT1300は、フィアット600の上級モデルとして19 64年に登場したフィアット850をベースとして、サスペンションなどのコンポーネントを流用。その 手法はフィアット600をベースとしたレコルド・モンツァから1000ビアルベーロへと続く、一連 のスポーツカーと同じでした。
そして1000ccのビアルベーロ(ツインカム)エンジン の982cc/102psに対して、1289.5cc/147psとパフォーマンスが引き上げられた のと同時に、ボディデザインも一層流麗なものへと昇華していました。
トリノのカロッツェリア・ シボーナ&バサーノが担当したボディ(カウルワーク)にはグラスファイバー(FRP =ガラス繊維で強化されたプラスチック)が採用されていたことも、流麗なデザインの一 因となっていました。そのために、空力にも配慮したデザインで纏められていました。
一方で1967年にマイナーチェンジを受けて誕生したシリーズIIでは、ルーフに立てられたペ リスコープ(潜望鏡)のようなエアインテークが大きな特徴となって、流麗ななかにも“ 遊び心”が感じられるデザインに仕上がっていました。
半球型燃焼室を持ったシリンダーヘッドを意味するテスタ・ラディ アーレや、ツインカムを意味するビアルベーロなどを車名に使用することの多かった アバルトですが、OTシリーズのOTは、ツーリングカーとして公認されたことを意味す るOmologato Turismoの頭文字を繋げたものです。1300ccの2シーターなのでツー リングカーとしての公認はあり得ません。事実、国際マニュファクチャラーズ選手権から移行 した国際スポーツカー選手権(International Sports Car Championship)でも1300cc以下のGTカーとし て参戦し1966~1967年に連覇を果たしています。
しかしこれはフィア ット850ベルリーナ(セダン)をベースにしたフィアット・アバルトOT850ベルリーナ 、同OT1000ベルリーナをリリースしており、一般的にはそのファミリーモデルと位置づけた 結果のネーミングだと理解されています。
アバルト&C.のオーナーであるカルロ・ア バルト自身、余り細かなことには拘泥しない性格だったとも伝えられています。アバルト だけにアバウトだった!? とのジョークもあるようです。
ともかく、ツーリングカーやGTカ ー/スポーツカーのレースにおいて、小排気量クラスでは敵なしだったアバルト。その一連のレーシングカーのなかでもフィアット・アバルトOT1300は、最強にしてもっとも美しいマシン、そして美と速さを追求した究極のアバルトとして、今もファンの心を掴んで放さな い1台となっています。