クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 相当なオタクでも「なにこのクルマ?」 全部わかれば偏差値90超えの「アバルト」マニア車5台
CLASSIC
share:

相当なオタクでも「なにこのクルマ?」 全部わかれば偏差値90超えの「アバルト」マニア車5台

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/FCA

フィアットのシャシーにオリジナルボディを架装したFiat Abarth 1300 Scorpione:偏差値80

 ここからは、フィアットをベースとしながらも使用するのはシャシーのみ。ボディはカロッツェリアに依頼していたので、ベースとなったフィアットとはルックスがまったく異なるモデルとなり、偏差値も一気に高まります。

 まずは1968年に登場したFiat Abarth 1300 Scorpioneから。基本パッケージから紹介しておくと、フィアット850のシャシーを改造。フィアット124用をボアアップし1197ccから1280ccにまで排気量を拡大した直4OHVエンジンを搭載するロードゴーイング仕様のGT、ということになります。Fiat Abarth 1300 Scorpione

 前後のサスペンションは横置きリーフで吊ったウィッシュボーン/コイルで吊ったトレーリングアームの4輪独立懸架で、ブレーキは4輪ドラムとフィアット850と基本的には共通。ただし、ホイールベースは15mm延長されていました。Fiat Abarth 1300 Scorpione

 1280ccにまで排気量が拡大されたエンジンは、ベースの124(60ps)に対して15psだけパワーアップされていました。ただし、コスト面を重視したのか、124シリーズのスポルトクーペ/スポルトスパイダーに搭載された125用の1438ccの直4ツインカム(90ps)を搭載していれば、と思わずにはいられません。

 もっとも、のちにパワーアップしたSやSSも登場していたようで、余計なお世話ということかもしれません。こちらの難易度はぐっと高まって、偏差値80といったところでしょうか。

ベルトーネがスパイダーとクーペを手掛けたAbarth 750 Bertone:偏差値90

 最後に用意したモデルは難解度MAXな1台、Abarth 750 Bertoneです。アバルトとベルトーネのジョイントワークとしてはスピード記録挑戦車が有名ですが、こちらは1956年にリリースされたロードゴーイングカーです。Abarth 750 Bertone

 クーペが初春のジュネーブショーでお披露目され、続いてスパイダーがフィアットやアバルトの本拠地であるトリノショーで登場しています。フィアット600から流用したシャシーに、ベルトーネが2ドアのクーペ&スパイダーと2種のボディを架装。Abarth 750 Bertone

 デザインを担当したのは2台ともに、当時のチーフデザイナーを務めていたフランコ・スカリオーネでした。ちなみに、彼は1956年には先に触れたスピード記録挑戦車も手掛けていますが、その前後1952年にはアバルト1500ビポスト、1953年にはフェラーリ・アバルト166MM/53を手掛けています。そのほか、1958年にはアルファ ロメオ=アバルト1000ベルリネッタ、1960年にはポルシェ356BカレラGTLアバルト・ベルリネッタなども手掛けていて、アバルトにもっとも深い関わりを持ったデザイナーのひとりです。ポルシェ356BカレラGTLアバルト・ベルリネッタ

 ちなみに、仏伊のラテン連合ではなく、アバルトがドイツのポルシェとジョイントした1960年のポルシェ356BカレラGTLアバルト・ベルリネッタについては、また別の機会に紹介することにしましょう。Abarth 750 Bertoneは、フィアット600用のエンジンを747ccに排気量を拡大し最高出力も24.5psから41psまでパワーアップして搭載していました。

 エクステリアデザインではポップアップ式(リトラクタブル)のヘッドライトと、テールに生えたフィンが大きな特徴となっていて、これらはクーペとスパイダーに共通していました。難易度は大きく跳ね上がっていて偏差値90といったところでしょうか。

12
すべて表示
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

ranking

AMW SPECIAL CONTENTS