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1970年代に最高速366km/hの怪物! 昭和オヤジが少年時代にシビれまくった「ポルシェ935」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/PORSCHE/TAMIYA

1976年に登場してから77年・78年と進化し続けた935

 1976年にデビューした935は、1977年、1978年と毎年のように進化を続けていきました。エンジンだけ見ても、1976年モデルでは2857cc(ボアとストロークは92.8mmφ×70.4mm)から590psを発生していたものが、1977年モデルでは同排気量のまま630psにパワーアップされました。

 さらに最終仕様となった1978年モデルでは排気量も3211cc(95.7mmφ×74.4mm)に引き上げられ、最高出力845psを捻り出していました。ベースとなった930ターボの930/72ユニットは2993cc(95.0mmφ×70.4mm)でしたが、ターボを装着することでターボ係数(当時は1.4)が掛けられるから、2993ccのままだと約4.2Lとなり車両重量が1025kg以上となります。ポルシェ935のエンジン

 そこで2857ccと縮小したことで4L以下のクラスに編入され、最低重量も970kgまで引き下げられたのです。ご存じのようにこれはスカイラインGT-Rなどでもお馴染みの手法でした。最高速度もオリジナルの340km/hから最終仕様では366km/hにまで引き上げられていましたが、この数字はエンジンパワーだけでなくボディの空力処理の効果の方がより大きな結果を生んでいると考えられます。ポルシェ935

 その空力パーツについて触れる前に、ボディ構成についても触れておく必要があります。935はグループ5の公式に則って……というよりも935が先鞭をつけたので、こちらがそのまま公式になったというべきです。キャビン周りのモノコックを活かしながら、前後に鋼管スペース式のサブフレームを構築し、ロードゴーイング(ベースモデル)のシルエットを持ったエアロカウルに交換していました。ということでそのエアロカウルについても少し詳しく紹介していきましょう。ポルシェ935

レーシングプロトタイプよりも速かった935モビーディック

 1976年に登場した初代モデルは当初からヘッドライトをバンパースポイラーに組み込んだ、いわゆるフラットノーズを採用していました。レギュレーション的にはOKだったのですが、レギュレーションの精神に反する、としてポルシェが自ら、911でも特徴的なルックスとなっている高い位置にヘッドライトを持ち上げたノーズに変更してシリーズ第2戦と第3戦に出走します。ポルシェ935

 ただし、意外にもライバルは手強く、第4戦からはフラットノーズに再度変更してシーズンを戦っています。1977年シーズンに向けてはリヤウイングやフロントノーズなどエアロカウルが手直しされていましたが、それでも1976年モデルの正常進化の域を超えるものではありませんでした。

 しかし、結果的にシリーズの最終モデル、935の集大成となる1978年モデルではエアロパネルが一新されています。“モビーディック”のニックネームも納得の、低く長いボディに生まれ変わっていました。ポルシェ935

 これはレギュレーション変更があったためで、モータースポーツを司る国際自動車スポーツ連盟(FISA。FIAの下部組織で、1993年に現在のモータースポーツ評議会に業務を移行して解散)としては、レギュレーションを緩和することでポルシェ以外の参加者を招き入れるとともに、健闘してきたライバル競技車両のポテンシャルを引き上げる狙いもあったようでした。ですが、新たなレギュレーションでは当のポルシェが大きくポテンシャルを引き上げることになり、その思惑は実現することがありませんでした。

 それはともかく、935/78“モビーディック”の最高速366km/hというのは兄弟モデルとも言うべき936(グループ6)のレーシングプロトタイプよりも速く、実際に“モビーディック”はル・マンの、当時6kmもあったストレートで936を抜き去ったということです。ポルシェ935と936

 ドイツの国内選手権では2L以下のクラスが設けられていましたが、そこに参戦するためにポルシェでは、排気量を1425cc(71.0mmφ×60mm)まで縮小した935-2.0クーペ、通称“Baby”もリリース。935/77との大きな違いはオイルクーラーがフロントノーズからリアフェンダーへと移設されていて、そのためにノーズのインテークがパネルで塞がれMARTINI PORSCHEのロゴが記されていること。2戦に出走し、1勝を挙げています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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