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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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バブル絶頂期デビューのマツダ「ファミリア系列」はオシャレな都会派でした! リトラクタブルヘッドライトの「アスティナ」も懐かしい

「アクセラ」あらため「マツダ3」は今もマツダの主力ファミリーカーですが、その前身である「ファミリア」も1963年から2004年まで9世代もの長きにわたりマツダを支えていました。今回はバブル期の1989年に登場した7代目を当時のカタログで振り返ってみましょう。

バブル前夜に設立された「BMWジャパン」は海外メーカー初の日本法人!「ガイシャ」を身近にしてくれた4モデルを振り返ろう

海外の自動車メーカーとしては初めて本社100%出資の日本法人として「BMWジャパン」が設立されたのは約40年前の1981年のこと。この時点でラインアップしていた4輪車は、「3シリーズ」、「5シリーズ」、「6シリーズ」、「7シリーズ」の4モデルでした。

【いまだから明かせる開発秘話】「ミスターシビック」こと伊藤博之さんにインタビュー「宗一郎は空冷が好きだったね!」

1944年生まれの伊藤博之さんは1969年に初代「シビック」開発チームに配属されて以来、3代目からは開発責任者を務め、6代目までシビックに携わっています。「ミスターシビック」に当時の開発エピソードから最新シビックへの思いまで、ざっくばらんに語ってもらいました。

BMW初代「1シリーズ」は実用性より走り重視!? 新時代を開拓したコンパクトハッチバックを振り返ろう

2004年にデビューした初代BMW 1シリーズ。現行の3代目ではFFとなりましたが、初代と2台目ではFRで走りに妥協しないコンパクトハッチバックとして多くのファンに愛されました。今回は初代E87型を当時物のカタログで振り返ってみましょう。

なぜ「Z3」「ボクスター」「SLK」は生き残った? ドイツ勢オープン2シーターがマツダ「ロードスター」のマネではなかった独自路線とは

1989年の「ユーノス・ロードスター」が引き金となって、世界中の自動車メーカーがこぞって新時代のオープン2シーターの量産化に乗り出しました。そして90年代半ばにドイツで相次いで登場したのがポルシェ「ボクスター」、BMW「Z3」、メルセデス・ベンツ「SLK」の3車です。

なぜトヨタ「ハリアー」は爆売れした? BMW「X5」より時代を先取りした元祖「クロスオーバーSUV」とは

まだ「SUV」なる言葉も普及していなかった1997年にデビューしたトヨタ初代「ハリアー」。乗用車派生の初のクロスオーバー車として大ヒットし、新ジャンル「クロスオーバーSUV」の開拓者となりました。当時どれほど画期的だったのか振り返って解説します。

なぜ「エリシオン」は「アルファード」に勝てなかったのか? ホンダ渾身の最上級ミニバンは非日常感覚いっぱいでした

ミニバンブーム全盛期の2004年、「オデッセイ」や「ステップワゴン」など多くのラインアップを抱えていたホンダが最上級ミニバンとして発売したのが「エリシオン」でした。車高を低めに抑えてライバルと一線を画すコンセプトが魅力でしたが、なぜ販売面で勝てなかったのでしょうか?

ホンダ「エディックス」の「川の字」レイアウトは失敗だった!? BMWより10年先を行っていた先進的ミニバンとは

ミニバンを続々とリリースしていたホンダから2004年に登場した「エディックス」は前列3人掛けで「3×2」レイアウトを採用した個性的なファミリー向けミニバンです。営業的には決して成功したとは言えなかったものの、空間の活用法やデザインなどは先進的でした。
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