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バブル前夜に設立された「BMWジャパン」は海外メーカー初の日本法人!「ガイシャ」を身近にしてくれた4モデルを振り返ろう

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

1981年のBMWジャパン発足時は4モデルのみのラインアップだった

3、5、6、7。この数字の並びを聞いて「おお!」と反応する人は、あの頃からのBMWマニアだな、とおおよその判断がつく。「あの頃」とは、今から40年ちょっと前の1981年以降くらいのことだ。ご存知の方も多くおられると思うが、この年、海外の自動車メーカーとしては初めて本社100%出資の日本法人として「BMWジャパン」を設立。この時点でラインアップしていた4輪車が、「3シリーズ」、「5シリーズ」、「6シリーズ」、「7シリーズ」の4モデルだったというわけだ。

正規インポーター「バルコム」を母体としてスタート

ちなみにBWWジャパンは、それまでのBMWの日本総代理店だったバルコム・トレーディング・カンパニーをBMWが買収する形で設立したもの。このため、手元にあるJAIA監修『外国車ガイドブック』を見てみると、その1982年版に初めて掲載されたときのBMWジャパンの広告には、本社所在地(電話番号も)は港区高輪にあったバルコムのショールーム(本社)がそのまま記載されていた。

すでに全国展開を果たしていたディーラー網も「全国各地区代理店」として、版下(製版用の原稿になるもの)もほぼ流用されたことが一目でわかるもので載っている。ちなみに第一京浜沿いの同所在地は、現在はJR高輪ゲートウェイ駅の近くで、現在はポルシェが入っている。

軽快なスポーティセダンのイメージを広めた3シリーズ

さて話をクルマに戻すと、今やSUV系、EVを含め数えきれないほどの車種展開を誇る現在のBMWからは想像もつかないが、1981年当時はわずか4モデルで、そのベースモデルだったのが当時のE21 3シリーズだった。前身の「02」を受け継いで登場した3シリーズは、バルコム時代からすでに扱いがあったものの、導入されたのは1.8L(1766cc)の4気筒(ボッシュKジェトロニックフューエルインジェクション)搭載車で、この5速MT(318i)と3速AT(318iA)のみ。サイズは全長4355mm×全幅1610mm×全高1385mm、タイヤは13インチ、車両重量はMT車で1085kgと、現代から比べるとはるかにコンパクトなクルマだった。

◎BMW LIFE (af imp LIFEシリーズ) (CARTOP MOOK)

なお当時の本国仕様は1.8L以下は丸型2灯式ヘッドライトだったが日本仕様は4灯式で、カタログの2灯式の写真には、昔の輸入車のカタログによく見られた「日本仕様と異なる所があります」の注釈が添えられている。

また当時はこの3シリーズの並行輸入車が多くみられ、2L版の320、その6気筒の320−6、さらに2.3L版の323など、正規にはないクルマも見られた。いずれにしろストラット/セミトレーリングアームによる軽快でしなやかな走りがBMWのスポーティセダンのイメージを広めたモデルで、2代目のE30が広く人気を集めBMWブームを起こした、その前夜的な存在のクルマでもあった。

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