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いまでも色褪せない魅力がある「バブル時代に生まれたパイクカーとは」

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TEXT: 小鮒康一(KOBUNA Koichi)  PHOTO: 自工会

次期型マーチのデザインスタディとして登場

 80年代の後半から90年代前半にかけて日産自動車が続々とリリースした「パイクカー」を覚えているだろうか。「パイク」とは槍の先端を意味しており、転じて“とんがった”、“個性的な”クルマを指す用語となっている。

 先駆けとなったのが、第26回東京モーターショーに参考出品された「Be-1」。1982年に登場したマーチの次期型のデザインスタディとして市場の反応を見るために出品されたモデルであり、名前も”B-1案”のデザインを採用したからBe-1という単純なものだった。

 しかし、モーターショーで大反響となり、それに驚いた日産が生産にGOサインを出し、1987年に販売がスタート。とはいえ、もともと市販化を前提にして作られたものではなかったため、限定10000台という設定で販売したが、瞬く間に注文が殺到。購入は抽選で選ばれたユーザーのみとなり、異例のお詫び広告が出されるほどであった。

 続くパイクカー第2弾は1989年に登場したのが「パオ」。Be-1では台数限定で混乱を招いた反省から、パオは期間限定で予約を受け付け、予約分だけを生産するという手法を取った。予約期間はわずか3か月ながらも、なんと5万台を超える予約を集める人気ぶりとなった。

 また、同じタイミングでカタツムリをモチーフにした商用車「S-Cargo(エスカルゴ)」もデビュー。こちらはBe-1やパオとは異なり、パルサーバンがベースとなっており、センターメーターにインパネシフトなど後のコンパクトカーの主流を先取りしていた。

 そして、マーチをベースにしたパイクカーの最後を飾ったのは、1991年に販売された「フィガロ」。パオと同じく2万台という台数限定となり、抽選を3回に分けて実施するという方法を取ったが、こちらも瞬く間に完売となってしまう。本革シートや手動開閉式のソフトトップなど豪華な装備を採用した結果、車重が増えたため、パイクカーシリーズでは唯一のターボ付きエンジンが搭載された。

 なお、初代マーチベースのパイクカーは上記の3台だが、日産は1994年にもサニー/パルサー系のプラットフォームを流用したパイクカー、ラシーンがリリース。こちらは乗用車ベースのクロスオーバーSUVの先駆けともいえる存在といえるだろう。

 余談だが、マーチベースのパイクカーの車両型式は、ベースとなったマーチの「K10」の頭に車種の頭文字(Be-1ならB、パオならP、フィガロならF)が付くという非常にシンプルかつ覚えやすいもの。その色褪せないレトロなデザイン然り、今後に日産から遊び心を忘れないクルマの投入に期待したいものだ。

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