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F1ドライバーでさえ「乗りたくない」と言わせたクルマは? 歴史を変えたスポーツカー5選

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: フェラーリ/ポルシェ/マクラーレン/Auto Messe Web編集部

過激な走りに潜む、どこか危険な香り

 第二次世界大戦前からはじまったスポーツカーの歴史は100年にもおよぶ。この間、何台もの革新的なスポーツカーが登場しているが、なかでも歴史を変えたモデルを独断と偏見で選んでみた。

フェラーリF40

 F40(エフフォーティー)は、1987年にフェラーリ創立40周年を記念して作られた限定車。エンツォ・フェラーリが生み出した最後のロードゴーイーングレーサーで、「そのままレースに出られる市販ロードカー」というコンセプトで作られた。

 ミッドにマウントされる3リッタ―V8エンジンにIHI製のツインターボを搭載し、最高出力は478馬力を発揮。最高速度は当時世界最速の324km/h(公称)で、某F1ドライバーが「雨の日は乗りたくない」というほど、高度なドライビングスキルを要求されるモンスターだった。

 スポーツカーの速さを追求してきた結果、ドライバーがコントロールできる上限はここまでという究極の姿を具現化したのが、F40という存在。事実、F40から先のフェラーリは、電子制御などのハイテクデバイスを抜きには語れない領域に入ってしまった。

 かつて、ロッキード社の戦闘機、F-104「スターファイター」が「最後の有人戦闘機」と称されたが、F40も「これ以上のクルマは、もう誰もちゃんと乗りこなすことはできない」ということを示すために、エンツォ・フェラーリが人生最後に用意したのではなかろうか。

 

ポルシェ930ターボ

 国産車ではターボ車の比率が高い。軽自動車からGT-Rまで、ターボが好きな国民は日本人ぐらいかもしれない。その日本人にターボの魅力と威力を植え付けたのは、なんといってもポルシェ930ターボの存在だ。

 ポルシェ930ターボは、1975年に登場。当時のグループ4レースのレギュレーションにもっとも有利になるように、量産車からワイドフェンダーを装着し、太いタイヤを履かせ、リアには大きなウイングを装着。心臓部は、水平対向6気筒・3リッタ―エンジンにKKK製のターボチャージャーをぶち込んで、260馬力/35.0kg-mという当時としては圧倒的なパワーを与えた。

 レーシングカーそのもののパフォーマンスで、瞬く間にスーパーカーの頂点に君臨。あまりのパワフルさに5速は不要で、4速MTで十分という余裕が930ターボのポテンシャルを証明した。当時の日本において「ターボを装着すれば強烈なパワーが出る」というターボ信仰がはじまったといっても過言ではない。

 実際は、ターボでパワーを出すのは簡単だが、レスポンスやドライバビリティ、そして放っておけばどこまでも上がろうとする過給圧をどう制御するかのほうが、ターボの技術の要。その猛獣=ターボを手なずけた最初のスポーツカーこそ930ターボだったという意味で功績は計り知れないぐらい大きい。

 もうひとつ、新型スープラ=GRスープラのホイールベース:トレッド比が、1.55ということが話題になっているが、ポルシェターボのホイールベース:トレッド比こそ、スープラが目指した1.549だったことも記しておこう。

 

マクラーレンF1

 マクラーレンF1は、F1の名門チーム「マクラーレン・カーズ」が1993年に登場した桁外れのスーパーカー。1998年からホンダとコンビを組んだマクラーレンは、セナ・プロ時代の絶頂期で、4年連続ドライバーズタイトルを獲得した。

 そのマクラーレンで、1988年に16戦15勝という圧勝ぶりを見せつけた名車マクラーレンMP4/4をデザインをしたF1界の鬼才、ゴードン・マレーが設計したロードカー。生粋のレーシングエンジニアであるマレーは、乱暴にいうとF1マシンにそのままカウルをかぶせたような「マクラーレンF1」を作ってしまった。

 世界初のフルカーボンコンポジット・モノコックシャシーを採用し、運転席は車体中央という変形の3人乗りのレイアウト。BMWの6リッター(NA)V12気筒エンジンからは672馬力を発生し、パワートレーンは横置きのトランスアクスル、ホイールベースをはじめ車体パッケージまでも当時のF1マシンのディメンジョンで作られた。

 予算のかけ方も半端ではなく、販売価格は約9000万円。車体全体が国家プロジェクトで挑む宇宙船のようなクオリティで作られていて、採算度外視のクルマだったのは間違いない。1995年のル・マン24時間レースではマクラーレンF1GTRが総合優勝。国内でも1996年にJGTCでダブルタイトルを獲得し、貫録の違いを見せつけた。

 コンペティションというものを突き詰めると、こうなるというのを実証してみせた歴史的な一台といえるだろう。

 

スカイラインGT-R(R32)

 国産車で歴史を変えたスポーツカーといえば、日産スカイラインGT-R(BNR32)抜きには語れない。インターテックでヨーロッパ車勢を打ち破る、ニュルブルクリンクでポルシェターボのタイムを更新し、量産車世界最速の座を目指す、といった大それた目標を掲げ、それを達成することに成功した偉大な国産スポーツだ。

 セダンベースの比較的コンパクトなボディをニュルブルクリンクで徹底的に鍛え、1000馬力にも耐える鋳鉄ブロックの直6エンジンにツインターボを搭載。アテーサE-TSというトルクスプリット4WDを武器に、ハンドリングとトラクションを両立した。

 国産スポーツカーのパフォーマンスとクオリティ、速さに対する考え方などを一気に10年分以上進化させたという意味で、空前絶後の一台。グループAレースやN1レースでの活躍もいまや伝説となっている。

 

ユーノス ロードスター

 1989年という時代に、スポーツカーの正しい文法を復活させたクルマ。メカニズム的は平凡だがFRで車重が軽く、オープンツーシーターでスポーツカーとして非の打ちどころのない車両パッケージだった。

 しかも低価格で、誰が乗っても、どんな速度域で乗っても、気持ちよく、楽しく、スポーツマインドが満喫できる稀代の名車。

 このロードスターの登場をきっかけに、世界中の自動車メーカーが、トラディショナルなスポーツカーへの原点回帰を目指すが、ロードスターのように、真のスポーツカーといえるクルマは現れなかった。誰も真似できなかったという意味でも、歴史を変えた一台になる。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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