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【W124型 Eクラス】”最善か無か” メルセデス・ベンツが最高品質を追求した傑作車

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)

妥協なきフィロソフィーが生んだ
ミディアムクラスのベンチマーク

 メルセデス・ベンツは、創始者ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツによって造られた。2人の信念がメルセデス・ベンツのクルマ造りに脈々として受け継がれている。

 ゴットリーブ・ダイムラーの信念として、あまりにも有名なのが「最善か無か」。”工場の門を出るものはいかなるものも、品質と安全においてすべて最高の規準まで進歩したものにする”という意味だ。一方、カール・ベンツは「発明への情熱は決して消えることは無い」と、技術者の強い意志を示し常に革新の信念を抱いていた。

 特に、ゴットリーブ・ダイムラーのモットーである「最善か無か」は、今もメルセデス・ベンツ車造りの哲学の中核。つまり、メルセデス・ベンツに応用される技術はその時代において最高のものであり、しかもメルセデス・ベンツを使用するお客様にとって利益のある有効なものでなければ採用されない。さらに、人間工学に限らず、生理学、心理学を取り入れ、人間を中心にした安全設計をしている。 

 今回は、筆者が思う「最善か無か」を追求した代表モデルとして、Eクラス(W124)をクローズアップしてみる。

 

世界中の自動車デザインに与えた大きな影響

 メルセデスを代表する名車のひとつとして挙げられるのが、EクラスのW124シリーズ(1984〜1996年) だ。開発の背景にあったのが、1973年に勃発した第1次オイルショックだった。省燃費で効率に優れた自動車開発を進めたメルセデスは1982年にコンパクト・クラスのW201(190E)を発表。次いで1984年に発表したのがW124型Eクラスであり、日本では1986年の「自動車100年祭」の会場でデビューした。

 それまでメルセデスにおける車名で「E」は、単に”EINSPRIZUNG”(燃料噴射・イグニッション)の頭文字だったが、このW124で正式に「Eクラス」とシリーズ名となった。ボディバリエーションは、セダン、ワゴン、クーペ、カブリオレと豊富だったことも特徴だ。

 あっさりと爽やかなスタイリングには、フロントグリルの他はクロームモールがほとんど見当たらない。W124は、かの”ブルーノ・サッコ”が190Eに続いてデザインを手がけた作品。当初、1本のサイドプロテクターは、90年からサッコ・デザインのアイデンティティとも言うべき「サッコ・プレート」(ボディ側面を保護する)を採用する。このW124のスタイリングは、サイズやクラスを超えて世界中の自動車デザインに大きな影響を与えた。

 特にテールの大胆な切り方と極端な絞り込みは、先に登場した190Eの特異な腰高ダイヤモンドカットテールをも見慣れたものに変えた。ボディサイドもプレーンな形状で、正に90年代の自動車業界を象徴するデザイン。特筆はトランクの開口部がバンパーまでカットされ、荷物の積み下ろしを容易にしたこと。また、フロア下に収納されるスペアタイアはオリジナルサイズで、パンク後も同じ速度を維持して走行可能にするエンジニアの哲学だった。

 さらに、有限要素法(Finite Element Method)なる高度コンピュータ設計システムを駆使して生み出された空力的なフォルムは、Cd値0.29を実現。同時にゆとりの居住空間、高度な安全性も確保した。その先代であるW123(1975〜1985年)まではコンパクトと呼ばれていたが、W124は全長4740mm/全幅1740mmのボディを得て、「ミディアムクラス」と呼ばれるようになったのである。

 

メルセデスのシートは”呼吸”している

 技術面ではマルチリンク式リアサスペンションを「走る実験室=C111」から移植。戦前のスウィングアクスルから始まった独立懸架サスペンション開発への挑戦は、このマルチリンクの登場によりルネッサンスを迎え、世界の乗用車のベンチマークとなった。

 世界初の画期的なマルチリンク式リアサスペンションは13年の歳月をかけて開発し、1982年の190Eシリーズに次いでW124に採用。後輪は各々適切に配置された5本のリンクによって位置決めされ、快適な乗り心地に必要なしなやかさを持ち、操縦性への悪影響を抑え、路面からのショックを吸収し優れたロードホールディングを実現した。

 そして、操作類は容易に手の届く位置に設置した”中央集中型”。運転姿勢を変えず簡単かつ確実な操作ができ、ドライバーの負担を少なくする機能的な操作安全で人間工学に基づいた設計だった。自然に手を伸ばして握れる様に平均的な肩幅の大きさに合わせたという大径ステアリングも然り。ある程度太くて大きい方が握る力も小さくて済み、長距離運転では疲労も少ない。なお、前席にエアバッグが標準装備されたのは1992年以降のモデルからだった。

 さらに疲れない設計のシートも特筆すべき伝統の逸品。当初はスプリングやパッドの間に動物の毛(馬や豚の毛)を採用し、各層が目詰まりをしないように造っていた。その後はヤシの実の繊維を採用、現在では環境の問題からウレタンスポンジでシートを構成している。本来、メルセデスのシートは各層の材質が重なり合っても「目詰まりを起こさない構造」。しかもシート内の空気循環を良くし身体の汗と湿気をうまく吸収し発散する。メルセデスはロングドライブしても疲労が少なく、フレッシュな気分でドライブ可能。この事が「メルセデスのシートが呼吸している」と言われる所以なのである。

 

アナログの時代に最善を尽くした設計思想

 以前よりメルセデスの特徴として定評ある、凹凸形状を持つリアコンビネーションライトはW124にも採用された。つまり、凸部は汚れが付き易いが、凹部は汚れが付きにくいので後方からの視認性が良いわけだ。

 そして、1974年に正面衝突の約75%がオフセット衝突であるという、実際の事故調査による事実を受け、その事故形態を再現する衝突実験を開始。この時から、ボディの安全構造はさらに大きく飛躍を遂げた。左右2本の三叉式メンバー(さんさ式)によって前方からの衝撃を分散して受け止め、3方向に分岐しオフセットクラッシュなど、実践的な衝突安全性能もさらに向上(先代のW123に比べて大きく進化)。

 豊富なラインアップを揃えたエンジンについてもV8を搭載する500Eをラインアップ。ハイパフィォーマンスカーへの足掛かりを作った。

 このW124の実力はアナログ時代では恐らく最善であり、完成域に達していた。W124は自動車業界がアナログからデジタルへと変化する過度期における大切な一歩を見せつけた作品といえよう。

 もしW124をひと言で表現するとしたら「大人が作った大人のクルマ」。”車”を通じて作り手の自信が明白で、正に匠の作品に触れる重厚さが感じられる。この優れた基礎があってこそ、W124は今日でもある種カリスマ的な人気を維持している500EやAMGまでも展開する事が可能だったわけだ。

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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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