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70年代のスーパーカーはウソ八百馬力? 今だから言えるフェラーリ最高速302km/hの真実

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TEXT: Auto Messe Web編集部  PHOTO: フェラーリ/ランボルギーニ/Auto Messe Web編集部

「これくらいは出るだろう」がカタログ値に

 1970年代の日本に、突如として巻き起こったいわゆる「スーパーカーブーム」。きっかけが週刊少年ジャンプに連載されていた池沢早人師(当時は池沢さとし)先生の「サーキットの狼」であったことは、広く知られている事実である。登場するスーパーカーのなかでも注目されていたのが、フェラーリ365GT4/BBとランボルギーニ・カウンタックLP400。最高速は365GT4/BBがわずか2km/h上回っていたことに、ブームの中心にいた当時の小学生の間では物議を醸し出していたのである。

「サーキットの狼」の連載が始まったのは1974年の12月。世間では、1975年が連載のスタートとされているが、正しくは1974年の年末に発売された1975年1月6日号からの掲載だったので、1974年(昭和49年)だったというのが正しい。これはファンには欠かせないトリビアである。

 オイルショックでガソリン価格が高騰し、トイレットペーパーが無くなるとの噂が流れ人々がスーパーマーケットに買い占めに走った時代に、ハイパフォーマンスカーのマンガが人気を得るというのは今考えれば何とも皮肉なハナシだが、このブームが後の日本のクルマ社会に与えた影響は少なくない。

 当時の小学生は車種や生産国だけでなくスペックまでも丸暗記し、その知識量を競い合ったものだ。なかでもスーパーカーのヒエラルキーとして、小学生ファンの間でも最もエライとされたのが最高速度性能である。いまならばさしずめ最高出力がそれに当たるのだろうが、当時はとにかくどれだけ速いかで勝負が決まった。まるで九九や円周率を暗記するように、フェラーリやランボルギーニの各車スペックを覚え、スラスラと最高速度や馬力が口をついて出てきた。

 そんなブーム時に頂点を極めたのが、フェラーリ365GT4/BB(後に512BBに進化)とランボルギーニ・カウンタックLP400である。前車は302km/h、後車は300km/hちょうどの最高速度を標榜。さしずめスーパーカー界の東西横綱として君臨した。

 いまでこそ分かるが、当時の数字はあくまでも希望的観測に基づいたもので、実証されたものとは言いがたかった。かつてランボルギーニに従事した当時の開発者に話を聞く機会があったのだが、「車重が何キロで、エンジンパワーがこれくらい。車高も低くボディはウエッジシェイプで空気抵抗は少ないだろうからこれくらい(の速度)は出るだろう、ということでカタログに記載した」と、裏話を披露してくれた。

 実際にその数値が出なくても、出そうなイメージでスペック表記が許された実に大らかな時代だったのである。もちろん空力性能が重要だったことは理解していても、市販車で風洞実験を行いパフォーマンスに磨きをかける……など、いまでは軽自動車でさえも当たり前に行われていることすらほとんどされていなかったのだ。

 フェラーリのフラッグシップモデルが1976年に365GT4/BBから512BBにスイッチしたことで、当時のスーパーカーファンの勢力を二分したフェラーリ対ランボルギーニの図式は、そのまま512BB対カウンタックということになっていたように記憶している。「スーパーカードア」とも異名を取るポップアップ式のドアデザインが(他にリトラクタブルヘッドライトはスーパーカーライトなどと呼ばれた)、よりエキセントリックで子供ウケしやすいカウンタックに対し、スタイリングは地味だが(いま改めてみてこの美しさがやっと理解できるようになった)最高速度で軍配が上がっていた512BB。甲乙つけがたい2台だった。

「コーナリング性能を考えれば五分」だの「いや、やはり最高速度は絶対」、「実は幻のイオタの方が速いらしい」など、運転どころか乗ることすらできないくせに、全国の小学生たちはにわかスーパーカー博士として休み時間に舌戦を行ったものだ。

 少々まじめな話をすれば1気筒当たり365cc の排気量を持つ(これが車名の由来でもある)、総排気量4390ccの180度のバンク角を採用したV12エンジンをリアにミッドシップ搭載する365GT4/BBは、最高出力が380psで、前述のとおり最高速度が302km/hだった。

 排ガス対策によるパワーダウンを補うために後継モデルとして登場した512BBはV12エンジンの排気量を4942ccにアップさせたが、最高出力は360psに低下した(5リッターV12の数字が512BBの車名の由来)。しかし、それでも最高速度の302km/hに変更はないまま。そこは意地でも、カウンタックと競い合った世界最速の称号を譲れなかったのだろう。

 もはやこの時点でスペックが眉唾ものと分かるが、そんなことを気にするスーパーカーブームではなかったのである。ちなみにさらに後継モデルとなる燃料供給システムにボッシュ製Kジェトロニックのインジェクションを採用した1981年登場の512BBiは、最高出力がさらに20psダウンの340psになっていて、ここで初めてフェラーリは、その公称最高速度を280km/hと現実的な数値に改めたのだ。

 本当の意味での最高速度300km/hオーバーを達成した市販初のモデルは、1986年に登場したポルシェ959だと言われている。速度無制限のアウトバーンで、踏めば誰でも300km/hの世界が保証されたのだ。スペックシートに掲げられた最高速度は317km/hであった。しかしこの数値は、翌1987年にデビューした324km/hの最高速度を持つフェラーリF40によって塗り替えられている。

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