レースが「リアル実験場」だった時代! 激熱バトルが生んだ昭和の名車6台 (1/2ページ)

レースが「リアル実験場」だった時代! 激熱バトルが生んだ昭和の名車6台

日本の自動車メーカーたちが市販車ベースで熾烈な戦いを展開した70年代

 国内レースの黎明期だった1960年代は、トヨタと日産を筆頭に、国内メーカーの多くがグループ6/7の純レーシングカーを開発して日本グランプリで熱戦を繰り広げていました。しかし排気ガス浄化など市販モデルの開発に重点を置くことを理由に日産が70年の日本グランプリへの参戦休止を発表。これを切掛けにしてトヨタも不参加を表明し70年の日本グランプリの開催そのものが取りやめとなってしまいました。

 これによりメーカー系のワークスチームはレース活動を休止したのですが、実際にはツーリングカーやGTカーなど市販車ベースのレーシングカーの開発は継続され、多くのワークスドライバーもこちらのレースに参加していました。スカイラインGT-R、フェアレディ240Z、サバンナRX-3、セリカLBターボ、カローラ・レビン、サニー・エクセレント、今回は、そんな70年代前半に活躍していた市販車ベースのレーシングカーを紹介していきましょう。

ほろ苦いデビューレースウィン やがて堂々たる王者に/スカイラインGT-R(PGC10&KPGC10)

 歴代モデルの多くがレースで活躍することになるスカイラインGT-Rですが、初代モデルがデビューしたのは1969年5月、JAFグランプリ前座のツーリングカーレースでした。当日の朝刊に参戦告知の全面広告を掲載するという鳴り物入りのデビューとなりました。

【関連記事】かわいい「パンダ」の群れが「サハラ砂漠」を大爆走! 世界一ムチャで過激な旧車ラリー

スカイラインGT-R画像はこちら

 プリンス/日産R380の血統を受け継ぐ2ℓ直6ツインカムのS20エンジンを搭載するなど、ライバルを圧倒するパフォーマンスを有していたGT-Rでしたが、トッププライベーターの若手がドライブするGT-Rはトヨタのセミワークス、高橋晴邦選手がドライブするトヨタ1600GTに翻弄されトップチェッカーを許してしまいます。

 しかし高橋選手がストレートで何度も進路変更を行ったことにペナルティが課せられ2位でゴールした篠原孝道選手が繰上げ優勝。熟成され尽くした1600GTに対して、GT-Rは明らかに熟成不足が目立ってはいましたが、ほろ苦いデビューレースウィンとなりました。2ドアHTバージョンのスカイライン画像はこちら

 しかしそこからワークスドライバーがスカイラインの熟成に注力。70年には高橋国光選手が全日本ツーリングカー選手権を5戦5勝と圧勝してチャンピオンに輝きます。そしてショートホイールベースの2ドアHTバージョンとなった71年には国光選手に続いて長谷見昌弘選手が選手権を連覇。諸説ありますが、GT-Rは連勝記録が50を超える活躍で、堂々たる王者となりました。

雨の富士GCで純レーシングカーを打ち破る金星/フェアレディ240Z(HS30)

 国産モデルとして初の、そして本格的なスポーツカーとして知られるフェアレディが、大変身を遂げたのは1969年のことでした。

 2座のスポーツカーという基本路線は継承していましたが、それまでのモデルがスパルタンなオープンシーターだったのに対して、デビューした2代目はスマートなクローズドクーペに生まれ変わっていました。当初のホットモデルはスカイラインGT-Rと同様にS20エンジンを搭載したZ432でしたが、輸出モデルに用意されていたL24エンジンを搭載した240Zが、そのポジションを引き継ぐことになりました。フェアレディ240Z画像はこちら

 70年の富士1000kmでワークス240Zがデビューレースウィンを飾ると以後はスプリントレースでも活躍しました。中でも、今も語り継がれている伝説が富士グランチャン(GC)レースでの活躍です。71年に始まった富士GCレースは当初、ビッグパワーのグループ7からGTカーまで何でもありのレースでした。

 やがて純レーシングカー(2ℓクラスのオープン2シーター)が主役となるのですが、参加台数を確保しようとGTカーの参戦も認められていました。そして71年の6月には日産ワークスの北野元選手が、翌72年の6月には柳田春人選手が、ともに雨のレースで並みいる純レーシングカーたちを打ち負かし“総合優勝”を飾ることになりました。6気筒L24型エンジン画像はこちら

 さらに日産ではより燃焼効率の高いクロスフロー・レイアウトのスペシャルヘッドを組み込んだLY26エンジンも開発されるなど、チューニングが進められていました。

死闘の末にGT-Rから王座を奪取/サバンナRX-3(S124)

 軽量コンパクトでハイパワー、まさにモータースポーツにはピッタリのロータリーエンジン(RE)を搭載したモデルとしてコスモスポーツやファミリア・ロータリークーペは、60年代終盤、主にヨーロッパのレースを戦っていました。

 そのRE勢が日本国内で活躍するようになったのは70年代に入ってから。先ずはファミリアの上級モデル、10Aエンジンを搭載したサバンナ(S102系)がデビューし、一回り大柄なボディに12Aエンジンを搭載したカペラREクーペがハイパワーを武器にGT-Rを追い詰めます。しかしあと一歩のところで詰めきれません。サバンナRX-3画像はこちら

 そこで登場したのがカペラより一回りコンパクトなボディに、S102系サバンナよりも一回りハイパワーな12Aエンジンを搭載したS124系のサバンナRX-3でした。ちなみに輸出仕様は開発コードでもあるRX-3を名乗っていましたが、国内仕様のロードモデルはサバンナGTを名乗り、レース仕様だけがRX-3と呼ばれていました。トップをゆくサバンナRX-3画像はこちら

 72年にデビューしたRX-3は、先ずは耐久レース、続いて富士の右回りショートコースを使った日本グランプリ前座、そしてフルコースの富士GC前座と一歩、また一歩とGT-Rを追い詰め、GT-Rから王座を奪っていったのでした。

画像ギャラリー