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「竹ヤリ」「出っ歯」「バーフェン」! 昭和のクルマ好きが熱狂した「街道レーサー」とは何だったのか

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TEXT: 並木政孝(NAMIKI Masataka)  PHOTO: Auto Messe Web編集部,NISSAN,青島文化教材社,モデラー:島村裕二

日本一のレーサーが決まるグラチャンの「駐車場詣で」

 その過激な姿を披露する聖地となったのは「富士スピードウェイ」で開催されていた“グラチャン”こと富士グランドチャンピオンレースの駐車場だ。

 今でいう“改造車フェス”と化した富士スピードウェイを目指して日本全国から改造車が集まることになったのだが、警察は日本全国からグラチャンに向かう改造車の一斉検挙に総力を費やし、各高速道路の乗り口やPAで検問を実施して数多くの改造車が検挙された。

 このブームはバブル経済の訪れと共に沈静化して行くのだが、その影響はバブルでバカ売れした輸入車や高級国産車にも爪痕を残した。1980年代の後半にはハイソカーブームの頂点として一世を風靡したメルセデス・ベンツが夜の六本木に二重駐車するほどに溢れ返り、改造車の名残として派手なメッキのフェンダーモールやブーメラン型のアンテナ、携帯電話のアンテナなどを装備し、ケーニッヒやロリンザー、ブラバス、ABCなどのヨーロピアンチューナーブランドのコピーエアロを纏った改造車が大繁殖したのである。

バブルのデートカーにも波及する改造車ブーム

 1980年代を席巻した改造車ブーム。その影響は決して悪いものばかりではない。若者のクルマ離れが著しい昨今だが「クルマ=自己主張の道具」として育った当時の若者が大人となり、子育てが終わった世代が当時を懐かしみ「旧車」として青春時代を共にしたクルマを探し始めている。日産チェーリー

 エコやハイブリッドの台頭で家電と化した自動車では満足できない世代のニーズにより、スクラップとして消えて行くはずだった多くの旧車たちが命を救われている。日本が誇る「昭和の名車たち」は、それだけ魅力を秘めているということだ。

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