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20世紀を象徴する名車「ミニ」! 破竹の快進撃のきっかけは?

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,BMW

モンテカルロ・ラリーで総合優勝を果たす

 話をミニ&ミニ・クーパーの活躍に戻しましょう。翌1963年にはラウノ・アルトーネンが総合3位、パディ・ホプカークが、総合6位入賞を果たしています。ちなみに、この時の総合優勝はサーブ96をドライブしたエリック・カールソンでした。そして1964年にはとうとう、ホプカークが総合優勝を果たすことになったのです。1964年モンテカルロ勝者ホプカークとコ・ドライバーのリドン(右)

 クルマはミニ・クーパーから排気量を拡大したミニ・クーパーSに進化していましたが、クーパーの997㏄から1071㏄に引き上げられただけでしたから、まさに『山椒は小粒で……』を地で行く活躍でした。続く1965年にはティモ・マキネンが優勝してミニ・クーパーSとして2連覇を果たすことになりました。

 さらに1967年にはラウノ・アルトーネンが勝っていますが、実は1966年も、ゴールした時点ではティモ・マキネンがトップの成績だったのです。しかしゴール後にヘッドライトに規則違反があると、まるで“難癖”をつけられたようになって失格。代わってシトロエンDS21のパウリ・トイボネンが優勝するという、不可思議な結果となりました。1967年アルトーネン、モンテカルロ勝利のミニ それでも1966年の結果はともかく、排気量だけでなくボディそのものもコンパクトなミニ・クーパーSが、モンテカルロ・ラリーという檜舞台で、より大きなボディでより大排気量のエンジンを搭載したライバルたちを一蹴したと言っても過言ではないでしょう。そしてその結果、世界中にミニのファンを誕生させたことも間違いありません。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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