スタイリッシュなパーソナルセダンとして登場
井上陽水がTV-CMで「みなさん、お元気ですか〜」といい、のちに口パクになった、とか、“くうねるあそぶ。”のコピーが糸井重里だったとか、おそらくこれまでに何百万回も書かれ、言い伝えられてきたであろうことは口が裂けても決して書くまい……と心に誓いながら冒頭からしっかり書いてしまった……。そんな日産セフィーロが登場した1988年9月は、直後に“出来事”があって元号が昭和から平成に変わろうとした激動の最中だった。
ところが筆者個人の体験でいうと、ちょうどFMラジオのJ-WAVE開局とセフィーロの登場が重なり、J-WAVEの試験放送的な番組をこのセフィーロの広報車を走らせながらラジオで聴いていた憶えがある。なので世の中はソワソワしているというのに、セフィーロのなかでJ-WAVEから流れてくるパット・メセニーやチック・コリアやアート・オブ・ノイズや冨田 勲に耳を傾けながら、今にして思えば相当にノホホンとした気持ちで、来るべき新時代を迎えていた……といったところだった。
日産の個性派モデルが登場した1988年と1989年
日産車というと、翌年1989年組のR32スカイラインやZ32(フェアレディZ)、インフィニティQ45といったスター級のモデルに注目がいく。だが、その前年の1988年もS13シルビア、J30型マキシマ(あの初代セドリック/グロリア・シーマ)など、味のある個性派モデルが登場している。
もちろん初代セフィーロは(2、3代目の没個性ぶりを思えばなおさら)、“88年組”の中でもひと際印象深い1台だった。豪華さや走りのスペックではなく、言葉での表現は難しいが“センス”を売りとした、新しい価値観を持ったクルマだったからだ。日産車で同じ6気筒搭載車のローレルが高級、スカイラインが高性能だとして、このセフィーロは“高質”をテーマに開発されたという。
ユーザーが仕様を決められるシステムが採用
なかでもユニークだったのは“グレードの設定がなかった”ということ。ではどうしたのか? というと“セフィーロ・コーディネーション”と称した、内・外観、エンジン、サスペンションなどを自由に組み合わせて、ユーザーが仕様を決められるシステムが採用されていたのである。
すなわち、エンジンは2Lのツインカム24バルブインタークーラー付きセラミックターボ/ツインカム24バルブ/シングルカムの3機種、サスペンションは4WS付きのHICAS-II/DUET-SS/標準の3タイプ。これに9色のボディカラーと、モダン/ダンディ/エレガントの3タイプ(オフブラック/ブラウンの2色)のシート地&ドアトリム地が組み合わせられた、というわけだ。
あらためてカタログを見ると(あえて羅列しておくと)、スポーツツーリング、タウンライド、コンフォートクルージング、ツーリング、コンフォートツーリング、スポーツクルージング、コンフォートタウンライドの全7パターン(さらにスポーツタウンライドとツーリングもある)の“推奨セフィーロコーディネーション”が載せられている。