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イギリスで「MAZDA」が電球メーカーと間違われていた昔! 「ロータリー」搭載のR100で闘った英国人がいた

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TEXT: 奥村純一(OKUMURA Junichi)  PHOTO: 奥村純一/マツダ

2006年に来日して片山義美さんと再会

 さて、それから30有余年の時を経た2006年、日本のファン有志の招待によりクラブ・ベイカーさんは来日。ツインリンクもてぎで行われたヒストリックカーイベントにて、1968年の「ニュルブルクリンク1000kmレース」をドライブし優勝した「ヒーレーTFR5」と再会を果たしている。

2006年に来日して往年の愛車ヒーレーTFR5と再会

 その来日時、ベイカーさんが「ぜひとも会いたい」と訪れたのは、兵庫県三木市にある「片山レーシング」。同時代にマツダとロータリーエンジン快進撃の立役者であったレーシングドライバー、片山義美さん(2016年逝去)のショップだ。

「初めてのコースでもすぐに、コースに慣れているわれわれよりも速いタイムを出して、つねにリーダーシップを発揮していた片山さんはすごかった」とベイカーさんが言えば、「クライブさんは普段はニコニコして冗談ばかり言ってるけど、レース前にはギラギラした顔つきでやる気に満ちあふれていた」と片山さんも当時を振り返った。

片山義美さんと再会したベイカーさん

とてもフェアな雰囲気だったマツダ・レーシングチーム

 クライブ・ベイカーさんはマツダ・レーシングチームとともに、1969年の「マラソン・デ・ラ・ルート84時間」、1970年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)第5戦「RACツーリスト・トロフィー」、同第6戦「ニュルブルクリンク6時間レース」、そして「スパ24時間レース」などでR100を駆って戦った。

1970年にマツダ・レーシングチームから3戦で走った マツダのヨーロッパ転戦時には、ベイカーさんが「フェロード」や「ダンロップ」などのパーツサプライヤーと関係が深いことから、それらと仲介をしてチームにひと役買っていたのだそうだ。

 当時、ほかのレーシングチームではトップダウンで物事が決まることがほとんどであった。だが、「チームのトップですら、ドライバーに対して対等だったし、一緒にベストを尽くそうと努力していた。マツダの姿勢は僕の長いキャリアのなかで、もっともプロフェッショナルだった」と、ベイカーさんは当時を振り返った。

西ドイツツーリングカー選手権の一こま

 それを裏づけるように、日本でも馴染みの深い自動車評論家ポール・フレール氏が「レースのやり方の模範がマツダによって示された」と当時の自動車専門誌でレポートしている。このことからも、マツダが非常に真摯な姿勢で勝利を目指していたことが窺われる。

1970年当時のクライブ・ベイカーさん

 

ロータリーへの情熱の系譜、いまだ途切れず

 当時、ヨーロッパでマツダチームを指揮した山本鉱氏監修の本「マツダ欧州レースの記録 1968-1970」(三樹書房/2020年3月刊)では、ところどころにベイカーさんの陽気な様子も散見するほか、各ドライバーの評価、テスト内容、各レース報告、日報などの資料も豊富にあり、3年間のヨーロッパでのレース活動の臨場感を伝えている。

 いまから半世紀以上前、クライブ・ベイカーさんたち「青い目のサムライ」が日の丸を背負って、世界の名だたるレースへと挑戦し、どのメーカーもなし得なかったロータリーエンジンの実用性と優秀性を証明したマツダ。

 世界で最も過酷な耐久レースのひとつである「ル・マン24時間レース」で日本車として初めて優勝するという栄冠から、2021年で30周年の節目を迎えた。これからも、ハイブリッド・ロータリーエンジンの実用化など、マツダの挑戦にはロータリーファンならずとも期待と夢が膨らむのである。

パーツサプライヤーとの仲介にも貢献した

 

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  • クライブ・ベイカーさんと妻のレイチェルさん、2006年
  • クライブ・ベイカーさんがマツダからオファーを受けたのは27歳のとき
  • マツダR100(日本名はファミリアロータリークーペ)
  • 欧州で耐久レースの経験豊富なベイカーさんに白羽の矢が立った
  • それまではBMCのワークスドライバーだった
  • シェブロンで走るベイカーさん
  • 片山義美さんと再会したベイカーさん
  • 1970年当時のクライブ・ベイカーさん
  • パーツサプライヤーとの仲介にも貢献した
  • 欧州で耐久レースの経験豊富なベイカーさんに白羽の矢が立った
  • 西ドイツツーリングカー選手権の一こま
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