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王者カウンタックの正式ライバル! スーパーカーブームの陰の功労者「フェラーリ512BB」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Ferrari/Lotus

“スーパーカー”ではチャレンジャーとなったフェラーリ

 ランボルギーニが350GTをリリースした1960年代の半ば、フェラーリのフラッグシップモデルは250GT系から275GT系へとブラッシュアップが図られていました。当時のフェラーリの車名は、気筒辺りの排気量を名乗っていましたから、この車名変更は、60度V12の排気量が3Lから3.3Lへと拡大されたことを意味しています。フェラーリ250SWと275GTB

 ランボルギーニの350GTも同じく60度V12エンジンを搭載していましたが、3.5Lのツインカムで、最高出力は320ps、最高速度も280km/hを誇っていました。これに対してフェラーリの275GTは3.3Lのシングルカムで最高出力280ps、最高速度も270km/hでしたから、パフォーマンスでは明らかに後れを取っていたのです。

 それがエンツォの、フェルッチオに対する敵愾心に火をつけたのでしょうか、1966年には275GTベルリネッタのエンジンをツインカム化して275GTB/4へと進化させます。カタログデータの最高速度260km/hはともかく、最高出力は300psと大台に乗せていました。フェラーリ275GTB/4

 さらに1968年には4.4Lのツインカムとして最高出力を352psにまで引き上げた、60度V12エンジンを搭載する365GTB/4デイトナをリリースしています。フェラーリ365GTB/4デイトナ

 一方、ライバルのランボルギーニは1966年に、4L 60度V12(最高出力350ps)をミッドシップに搭載したミウラP400をリリース。“スーパーカー”としての一歩を踏み出すと、さらに1972年にはシザースドアを持ったカウンタックLP400をリリースしました。フェラーリを一気に引き離しにかかったのです。

 そのLP400に対するフェラーリの次の一手が、1973年に登場した365GT4/BBでした。12気筒エンジンを搭載するフェラーリとして初のミッドシップレイアウトを採用。81.0mmφ×71.0mmのボア×ストロークは共通でしたが、それまでのバンク角が60度のV12からバンク角180度のV12へと、エンジンが一新されています。フェラーリ365GT4/BB

 ちなみに、車名の末尾にあるBBはベルリネッタ・ボクサー(Berlinetta Boxer)の頭文字を繋げたもの。BerlinettaはBerlina(=セダン)に、小さいとか可愛いを意味する接尾語のettaが加わったものです。例えばアルファ ロメオのジュリアに対してその妹分ということでジュリエッタが有名ですが、大きな4ドアセダンに対して小さな2ドアクーペをBerlinettaと呼んでいます。フェラーリ512BBのエンブレム

 Boxerは一対のピストンが向かい合うように上昇と下降を繰り返すさまが、ボクサーがパンチを打ち合っているように見えることから水平対向エンジンのことを示すものです。512BBのエンジンは、厳密には水平対向12気筒ではなく180度V12なのですが、180度V12も含めて水平対向エンジンと呼ぶこともあり、フェラーリでもその例に倣って、こう呼ぶようになったのかもしれません。

 それはともかく、365GT4/BBのエンジンは最高出力も365GTB/4デイトナの352psから380psにまでパワーアップされ、カウンタックLP400の385psと肩を並べることに。またカタログ値の最高速度も300km/hの大台を突破して302km/hとされました。じつはこの数字はカウンタックの最高速度300km/h(LP400/LP400S共通)を2km/hだけ上まわるもので、その数値には必要以上にスポットライトが当てられることになったのです。スーパーカーの世界

 こうして誕生した365GT4/BBですが、3年後の1976年には最終発展形の512BBが登場しています。これはモデルチェンジというよりも正常進化のマイナーチェンジでした。ボディは基本的には変わりなく、リヤのオーバーハングが40mm延長され、テールライトが丸型の3連から2連へと変更、テールパイプも左右3連ずつだったものが左右2連の計4本になりました。

 またフロントにはリップスポイラーが装着され、タイヤサイズが太くなったことで拡げられたリヤのホイールアーチの直前にはブレーキ冷却用のエアインテークが設けられています。フェラーリ512BBのリア

 一方エンジンは、ボアを81.0mmφから82.0mmφへと拡げるとともにストロークも71.0mmから78.0mmへと延長することで排気量が4390ccから4942ccへとアップ。エンジンのキャラクターを変え、トルク特性を改善して扱いやすさを追求した結果、最高出力は380psから360psへと引き下げらましたが、カタログ値の最高速度は302km/hを保っていました。

 さらに1981年には、それまで4基備えていたウェーバーのトリプルチョークを、ボッシュのKジェトロニック・インジェクションに交換した512BBiが登場。最高出力は340psにまで低下し、カタログ値の最高速度も、より現実的な283km/hとされています。じつはライバルのカウンタックも当初のLP400では385psだった最高出力が、5年後の1979年に登場したLP400Sでは375psに引き下げられるなど、闇雲に最高出力を求めるパワーウォーズからは脱していました。フェラーリ512BBi

 その後、512BB/BBiは1984年に後継モデルのテスタロッサにバトンを渡し、一方のカウンタックも1990年には生産を終え、後継のディアブロにフラッグシップの座を明け渡しています。しかし、1980年代半ばまでランボルギーニのカウンタックとフェラーリの512BB/BBiが、2トップとして切磋琢磨しながら“スーパーカー”の世界をけん引してきたことは紛れもない事実です。フェラーリ・テスタロッサ

 ところで、筆者は学生時代からモータースポーツ専門誌の地方レポーターとしてレース取材をしていたこともあり、ハイパフォーマンスを目指すならやはりレーシングカーが最高峰でした。“スーパーカー”と言っても所詮はレーシングカーよりもレベルが低い、と意気がっていて、その専門誌の編集部で製作した“スーパーカー”特集のムックを顧みることもありませんでした。今こうして資料を紐解きながら当時を振り返ってみると、なかなか興味深いものがあったのだと、あらためて感じ入っています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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