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庶民でもギリ手が出せる「ガチ」のスーパーカー! ロータス・エスプリとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Lotus Cars

高級GTカー路線へと舵を切りエスプリが登場

 フォードから、ツーリングカーレースのベースモデルとして「コンサル・コーティナ」のチューニングを依頼されたロータスは、エランに搭載してデビューさせたばかりの1.6L直4ツインカム・ユニットを2ドアセダンにスワップし、「ロータス・コーティナ」としてデビューさせています。こちらは営業的には大いにプラスに働きましたが、エリート(初代のタイプナンバー14)が経営的には失敗に終わったことで、ロータスは新しい経営方針を打ち出すことになりました。

フォード・ロータス・コーティナは営業面で成功を収めた

 それが高級GTカー路線。ライトウェイトスポーツカーから豪華なスーパースポーツカーへと大きくシフトしていったのです。その大役を任されたモデルが「3E」と呼ばれる、スポーツワゴン風4シーターハッチバックの「エリート」(Elite=2代目となるタイプ75)と、2ドアファストバックの「エクラ」(Eclat=タイプ76)、そしてミッドシップ2シーターの「エスプリ」(Esprit=タイプ79)でした。

 この3兄弟は同じエンジン(2L直列4気筒ツインカム16バルブの「タイプ907」。最高出力は160ps)を搭載していましたが、エリートとエクラがコンベンショナルなフロントエンジンだったのに対して、エスプリはミッドシップレイアウトを採用していました。またエリートやエクラはパッケージング的にもコンサバな4シーターや2+2でしたから、イタリアンのエキゾチックなライバルに立ち向かうには役不足でした。ですがエスプリの方はミッドエンジンで、それが直4の2Lでパワーが160psと非力なことを除けば、充分勝負できるキャラクターを備えていました。

豪華なスーパースポーツカーとして1976年に発売されたエスプリ

ジウジアーロとチャップマン、ふたりの天才の競演

 そんなエスプリですが、デザインを手掛けたのはジョルジェット・ジウジアーロ率いる「イタルデザイン」でした。これも驚くようなエピソードですが、1971年のジュネーブショーでジウジアーロと面識を得たチャップマンが彼を口説いてデザインを依頼したというのです。そして研究用にロータス・ヨーロッパのシャシー・コンポーネントを提供するようにとのジウジアーロからのリクエストに対して、チャップマンはヨーロッパ用の1.6Lに備えたシャシーではなく2Lのタイプ907エンジンに合わせたシャシーを送ったといいます。

 そのシャシーをベースにジウジアーロが描いたイメージスケッチを見て、チャップマンはその場でGOサインを出したと伝えられています。まさに天才同士の一瞬のひらめきで誕生した、エスプリならではのエピソードですね。

エスプリのデザインはジウジアーロが手がけている

 ともかくエスプリは、1976年に登場した「S1」を手始めに78年のマイナーチェンジで「S2」に移行。さらに80年には「タイプ910」と呼ばれる2173cc直4ツインカム16バルブをターボで武装、最高出力も210psに引き上げたモデルが登場。93年にはインタークーラーを装着して300psを超えるハイパワーを手に入れ、さらに96年には350psのV8ツインターボ・エンジンを搭載した、文字通りのスーパーカーに昇華しています。そして改良を重ねながら2004年まで生産が続けられ、28年間で合計1万675台が生産されています。

2001年製のエスプリV8

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  • ロータス・マーク1とヘイゼル・ウイリアムズ
  • 1953年製のロータス・マーク6
  • 1968年製ロータス・エリートS2
  • フォード・ロータス・コーティナは営業面で成功を収めた
  • ライトウェイト・スポーツカーの傑作ロータス・ヨーロッパ
  • 豪華なスーパースポーツカーとして1976年に発売されたエスプリ
  • エスプリのデザインはジウジアーロが手がけている
  • 2001年製のエスプリV8
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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