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ニッポンの“熱い声援”で生産終了が何度も延ばされた! クルマ好き以外からも愛されまくった「クラシックミニ」の魅力

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

日本のミニ市場は盛り上がりを見せていた

 その一方で広く老若男女に愛されたのもまたミニだった。とくに日本では「きゃっ、ミニクーパーでカワイイ!」とクーパーではないミニでもそう言いながら注目する街の女の子がいたりと、社会現象とまではいかないまでも、愛すべき外車の代表的な存在にもなり、日本のそうした“熱い声援”により、最後は生産終了が何度も先延ばしされたほどだった。クラシックミニ

 そういうわけで日本のミニ市場はジワジワと盛り上がりが続き、JAXなど複数の専門業者が日本にクルマを入れていた時期を経て、インポーターのオースチン・ローバー・ジャパン(ARJ)→ローバー・ジャパンが安定的にカタログモデルとして取り扱うように。筆者が2台目に乗った「35周年記念限定車」もそうした時期に本国で登場したモデルが日本にも入ってきたもので、革シートとチャコールブラックのボディ色の組み合わせにグラッ! と来て、気がつけばディーラーのテーブルで注文書にサインをしていた。

 後期のミニでは、ボンネットストライプの入ったクーパーが正式なカタログモデルとして用意された。エンジンそのものは標準車と共通スペックながら、ミニライト風のスポークホイールをはじめ、スポーティな出で立ちが特徴のモデルだった。クラシックミニ

 クーパーでは、オーバーフェンダーに50タイヤ、スポーツサスペンションを組み込んだ限定車(スポーツパック・リミテッド)や、モンテカルロラリーにちなんだ、4連フォグを装備(法規上、同時点灯は2灯となっていた)した限定車なども。クラシックミニ

 カタログは後期型では厚口のものが用意された。これらのカタログは日本独自の制作だったはずで、キチンとスタジオ撮影されたミニの内・外観のほか、装備、アクセサリー類の紹介、さらに雑誌の記事のような(当時あった専門誌が制作に関わっていたのだろう)ミニの歴史、ユーザー紹介など盛りだくさんで読みごたえのあるものだった。クラシックミニ

 ほかに、ARJ時代から“メイフェア”“パークレーン”など、仕様、限定車ごとの単独のカタログも案外数多く、丁寧に用意され、こうしたことでも、ミニがいかにメーカー、ユーザーから愛されていた存在だったかがわかる。

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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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