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バルンくんは日本で「カニ目」英国で「カエル目」と呼ばれています! 「オースティン・ヒーレー・スプライト」の魅力とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

軽量コンパクトで十分なパフォーマンス。RACラリーでも活躍

 オースティン・ヒーレー・スプライトMarkIの最大の美点は、安価にして、かつ軽量に仕上げられていたことでしょう。安価に、という観点で見ていくなら、オースティンのA35やモーリス・マイナーなどの小型量販モデルのパーツを流用することで、生産コストが引き下げられたことが大きな要因となっています。

 またモノコックフレーム/ボディにしても、エンジンなどに対する整備性を考慮して、フロントフードをボンネットから左右フェンダーまでを、モノコックとは切り離して一体成型。その一方で、リヤにはトランクフードを設けず、運転席後方にマウントしたスペアタイヤや荷物などを取り出すには、シートバックを倒して引き出すよう割り切って設計されていました。

 使い勝手という観点からは決して褒めたことではないかもしれませんが、(スペアタイヤなどを)引き出す頻度を考えるなら、そうすることでボディを軽量に仕上げるとともに、高いボディ剛性を確保することができた方が、クルマとしてはより大きなメリットとなる、と判断したことが好結果に繋がったのです。残念ながら(と言っていいかは議論の分かれるところですが)1961年に登場した2代目=MarkIIでは、トランクリッドが新設されて使い勝手は良くなったものの、剛性的には厳しくなったようです。

 またフロントビューに大きく手が加えられ、左右のフェンダーが高いまま前進。その先端にヘッドライトが埋め込まれてモダンではあるものの没個性なスタイリングとなり、ボンネットフードが単体で開閉するように改められたのも、2代目=MarkIIの大きな特徴となっています。

 結果的に車両重量の増加もわずか25kgに抑えられていますから、これらの変更点については、先にふれたように議論が分かれるところですが、MarkIの個性が失われたのは残念です。

 オースティン・ヒーレー・スプライトMarkIの、全長×全幅×全高の3サイズは3490mm×1350mm×1210mmで、これはダイハツ・コペンの3395mm×1475mm×1280mmと比べても95mm長く125mm狭く、90mm低い数値で、似たようなサイズ感と言っていいでしょう。

 ウエイト的には640kgのオースティン・ヒーレー・スプライトMarkIは850kgのコペンより210kgも軽量ですから、最高出力が43HP(ちなみにコペンは64ps)に過ぎなくても、当時としてはまずまずのパフォーマンスだったと考えられます。

 その一方でラック&ピニオン式のステアリングはクイックなギヤ比を採用するなど、ドライビングフィール的にオースティン・ヒーレー・スプライトMarkIは、ライトウェイト・スポーツらしい味付けとなっており、元来がドライビングを楽しめるクルマとして設計されていました。

 そんな特性もあり、オースティン・ヒーレー・スプライトMarkIはモータースポーツでも活躍しています。代表的なところでは1960年に行われた第10回RACラリー (現ウェールズ・ラリー of グレート・ブリテン)では優勝したエリック・カールソン組のサーブ96に続いて、ジョン・スプリンツェル組のオースティン・ヒーレー・スプライトMarkIが2位入賞を果たしています。

 ちなみに、カールソン組のサーブはこの年から1962年の第11回大会まで3連覇を果たしていた絶対王者でした。また、スプリンツェル組に続いてドナルド・ジュード・モーリー組のオースティン・ヒーレー3000が3位に入賞。つまり排気量が1L未満のオースティン・ヒーレー・スプライトMarkIは、2.9L直6エンジンを搭載した本格的なスポーツカーに先んじて、ラリーを走り切っていたのです。

 ヘッドライトをボンネットに載せた可愛くて愛嬌たっぷりなルックスからは信じ難いのですが、スポーツカーとしてのパフォーマンスも十分に備えていたと言ってもいいでしょう。こんな二面性も、ヒーレー・スプライトMarkIの大きな魅力です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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