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東欧を代表する自動車メーカー「タトラ」戦後のモデルと終焉まで

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

タトラ T603「パッケージを一新したT600の後継」

 開発陣が力を注ぎ、周囲からも期待をもって迎えられたT600“タトラプラン”だったが、10年足らずのうちに本命モデルが1955年に登場する。「T603」と命名された次期モデルは、流線型のモチーフを持ったリアエンジンの4ドアセダンという基本コンセプトは継承したものの、ボディ、デザインからシャシーのパッケージング、そしてエンジンの基本レイアウトまで、すべてにおいて一新された。

 先ずはエクステリアデザイン。T77からT87、T97、そしてT600“タトラプラン”と引き継がれてきた“流線型”は、T603でも踏襲されたが、全体的にはコンサバなデザインへと変化。ただし、空気抵抗を低減するためか、ヘッドライト(しかも3連装)を1枚のガラスでカバーしたフロントビューなどは、どう見ても”タトラ”なポイントだった。
 そのヘッドライトは寄り目の4灯式、通常の4灯式と次々に変化。リアも、これまで大きなエンジンカウルが覆っていたが、大きなウインドウがボディ固定式となり、エンジンカウルは通常のリッドに改められた。タトラ、T600、T613、T700、チェコ

 次にエンジン。空冷式は踏襲されたが、T600“タトラプラン”の水平対向4気筒から、T87以来となるV8に変更。排気量も2リットルから2.5リットルへと拡大された。もう少し詳しく解説すると、当初2545ccの”タイプ603F”が搭載したが、モータースポーツを戦う上でより有利になるよう、排気量区分一杯の2472ccの”タイプ603G”へとコンバートされている。
 そんなモータースポーツでの活躍ぶりは、また改めて紹介することにしよう。一方、サスペンションはフロントがストラット式、リアがスイングアクスル式の4輪独立懸架。スイングアクスル式の独立懸架を信奉していたレドヴィンカの哲学に沿ったものとなっていた。

【Tatra T603】

タトラ、T600、T613、T700、チェココプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影したシルバーの個体は、展示パネルでは1955年から1975年にかけて生産されたT603と、意外に大雑把な表記となっているが、ヘッドライトが通常の4灯式となった最終モデルで通称”タトラ3-603″と呼ばれるタイプ。タトラ、T600、T613、T700、チェコ一方、ヘッドライトが3灯式の黒い個体は、2014年に中国の大連老式汽車博物館で撮影したもの。タトラは中国では“太托拉”と表記されるようだ。リアビューとエンジンを曝した黒い個体はドイツ北部にあるメレ自動車博物館で2010年に撮影したもの。こちらもタトラ技術博物館の個体と同じく通常の4灯式ヘッドライトが採用されていてタトラ3-603と表記されるところだが、現地では”タトラ2-603″とされていた。
調べたところ、タトラ本社の資料でも3-603を2-603とする資料もあるようだが…!? それはともかく、シュラウドでカバーされた強制空冷式エンジンは、メンテナンスが大変だったろうと推察される。

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