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「リトラ・ミッド・ガル」こそがスーパーカーの証! ライト改造で「本来の姿」を手に入れたAZ-1が違和感なさすぎる

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TEXT: AMW 米澤 徹(YONEZAWA Toru)  PHOTO: 自工会、米澤 徹

見た目はイタリアンスーパーカーそのもの

 軽自動車と思えないオーラを放ちながら集合場所に姿を現したマツダ・オートザムAZ-1。挨拶代わりにと、リトラクタブルヘッドライトを開閉させて、ガルウィングドアが持ち上がる。クルマに詳しい人なら、その姿に目を疑うことだろう。

 AZ-1といえば「固定式ヘッドライト」を採用しているミッドシップ軽自動車だからだ。「ガルウイング/ミッドシップ/リトラクタブルヘッドライトこそが、スポーツカーの三種の神器」。

 そう語るのは、ITシステムコンサルティングを営むオーナーの齋藤裕さん(57歳)。1970年代後半、日本で起こったスーパーカーブームの洗礼をモロに受けた“直撃世代”にとって、ランボルギーニ・カウンタックは特別な存在。自家用車がトヨタカローラや日産サニーだった時代に登場したカウンタックは、まさにドリームカーだった。

スーパーカーのようなスタイリングが衝撃

 AZ-1が登場する3年前のこと。1989年に開催された東京モーターショーでマツダは、ミッドシップ方式の2シータースポーツカーを3台展示していた。AZ550スポーツと総称された3台は、タイプA、タイプB、タイプCと、それぞれボディ形状の違うモデルを持ち込んだ。

 タイプBはピュアスポーツカーをコンセプトに走りをイメージさせるスタイリング。タイプCはルマン24時間に出場していたGr.Cカーのようなデザインを再現。そして、のちのAZ-1の原型となるタイプAはリトラクタブルライトを採用していた。

 多くの人がその姿を夢見て、期待に胸をふくらませた。マツダから提案されたマイクロスポーツカーは、「小さなスーパーカー」と言っても過言ではないデザインで、冒頭に触れた“三種の神器”が揃ったクルマが日本でデビューすることは、誰もが夢にまで見た願いだった。

「当時、先輩のオートバイでタンデム(二人乗り)してモーターショーを見に行きました。会場で見た印象は今でも新鮮に覚えていますね。当時のショーモデルは、小さくて本当に可愛いなぁと思いました。タイプAよりもタイプBの方がシャレていると感じましたが、ミッドシップ+リトラクタブルライトは外せませんでしたね」。

 ところが1992年10月に発売されたモデルを見て、齋藤さんはガッカリさせられる。ガルウイングドアにミッドシップまでは良かったが、タイプAに見られたリトラクタブルヘッドライトがなくなり、固定式ライトへと変わっていた。軽自動車という規格の中で収めるには、重量やコストの問題から諦めざるを得なくなってしまった。

 その影響もあってかどうかは分からないが、AZ-1は2年間で生産が終了。わずか4000台強しか販売されなかった。「ロードスターの生みの親」である平井敏彦氏が引き受けて最初に下した決断であった。

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